INDEX
- 1本目 アイアンマン(2008年) 126 min
- 2本目 インクレディブル・ハルク(2008年) 112min
- 3本目 アイアンマン2(2010) 124 min
- 4本目 マイティ・ソー(2011) 114 min
- 5本目 キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011) 124 min
- 6本目 アベンジャーズ(2012) 144 min
- 7本目 アイアンマン3(2013年) 130 min
- 8本目 マイティ・ソー/ダーク・ワールド(2013年) 112 min
- 9本目 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014年) 135 min
- 10本目 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014年) 120min
- 11本目 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(2015年) 141 min
- 12本目 アントマン(2015年) 117 min
- 13本目 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(2016年) 148 min
- 14本目 ドクター・ストレンジ(2016年) 115 min
- 15本目 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス(2017年) 136 min
- 16本目 スパイダーマン:ホームカミング(2017年) 133 min
- 17本目 マイティ・ソー バトルロイヤル(2017年) 130 min
- 18本目 ブラックパンサー(2018年) 134 min
- 19本目 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018年) 149 min
- 20本目 アントマン&ワスプ(2018年) 118 min
- 21本目 キャプテン・マーベル(2019年) 123 min
- 22本目 アベンジャーズ/エンドゲーム(2019) 181 min
インベスタイムズをご覧の皆様こんにちは!
「マジメに面白く投資を考える。」と大々的にトップページで謳っているここインベスタイムズに僕のような投資とは程遠い人間が登場して良いものなのか迷いましたが、なんだかんだで口車に乗せられ、ブレスト会議なるものに参加し、いつの間にか書くことになっていました。
6,7年くらい前でしょうか。世間で投資的なことが騒がれたことがありました。猫も杓子も「投資だ」「FXだ」と熱狂した時代がありまして、その時に僕も時流に乗って、あと色々な事情がありまして、「よし! 投資やるぞ! まずはFXだ!」と決意し、FX用の口座を準備しようとしたのです。
けれども、途中で面倒になっちゃいましてね。結局、儲けた、損した以前の問題で、口座すら準備できなかった。というわけです。そんな男ですよ、僕は。
そんなどうしようもない男が「投資について書く記事の企画を話し合うブレスト会議」に呼ばれたところで、何を話していいのかすら分かりません。
どうしていいのか分からなくなっちゃいましてね。出てきた言葉がとにかく酷かったわけです。
「『アベンジャーズ/エンドゲーム』を心の底から楽しむために過去のシリーズ映画21本をぶっ続けで観る」
もう何を言ってるのか自分でも定かではないのですが、「アベンジャーズを観ることも投資だ!」と強引に押し切ってきたわけです。はっきり言って投資ではありません。何を言ってるんだこのバカ。自分でもそう思います。
ちなみに、アベンジャーズに関連する作品の総称は「マーベル・シネマティック・ユニバース・シリーズ(以下、MCUシリーズ)」と呼ばれており、いずれもマーベル・スタジオが製作する作品群を指しています。マーベル・コミックで出版された作品に登場するヒーローたちが同一の世界観の中でクロスオーバーする映画シリーズで、世界で最も大きな興行的成功を収めている映画シリーズともいわれています。
その第1作が2008年に公開されてから11年です。そして『アベンジャーズ/エンドゲーム』はそのシリーズの集大成、フィナーレと言われ、世界各地で大きなムーブメントを巻き起こしました。興行収入はあのアバターを抜き、世界歴代1位とのこと。もう世界中でめちゃくちゃ観られている作品、というわけです。
シリーズの集大成であることもさることながら、その『アベンジャーズ/エンドゲーム』内容もめちゃくちゃ面白くエキサイティングなものらしいのです。「とにかく面白い」「観ないヤツは人生損している」「観てないヤツは人間じゃない」などの評判がネット上を駆け抜けました。
そんな一大ムーブメントを眺めながら、「僕も観たいなあ」などと、まるでトランペットに憧れる少年のごとく眺めていたわけです。そんな僕を尻目にアベンジャーズファンの興奮はすさまじいものがあり、いよいよ僕も観るかー、ついに手を出すかーと思ったのですが、そこで言われたのです。
「『アベンジャーズ/エンドゲーム』単体でも十分に楽しめるけれども、過去の作品を観ておけばもっともっと楽しめる」
なるほど。なるほど。単体でも出来が良いけど、過去の作品もおさらいしておいた方が良いというわけですな。確かに、シリーズものですからそれは一理ある。分かる。
「じゃあ観るよ。何本見ればいいわけ?」
せいぜい3本くらいかな、シリーズが11年って話ですから、大作映画って作るのに3年くらいは間隔が空きますからね。単純計算で3本か4本くらい。それなら観ますよ。けっこう余裕な感じで構えていたのです。
「21本」
「は?」
「21本」
「は?」
あまりのおかしさに同じやり取りを繰り返してしまいました。11年で21本ってペースがおかしいだろ。単純計算で1年2本に迫る勢いじゃないか。春と秋にやる特番のドラマかよ。
なんでも「アベンジャーズ」を冠する映画は確かに「エンドゲーム」を入れて4本。僕の予想通りです。けれども、そこで活躍するキャラクターたちの関連作品が大量に存在するということなのです。
公開年と作品名を羅列すると以下のようになります。
1.アイアンマン(2008)
2.インクレディブル・ハルク(2008)
3.アイアンマン2(2010)
4.マイティ・ソー(2011)
5.キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011)
6.アベンジャーズ(2012)
7.アイアンマン3(2013)
8.マイティ・ソー/ダーク・ワールド(2013)
9.キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014)
10.ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)
11.アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(2015)
12.アントマン(2015)
13.シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(2016)
14.ドクター・ストレンジ(2016)
15.ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス(2017)
16.スパイダーマン:ホームカミング(2017)
17.マイティ・ソー バトルロイヤル(2017)
18.ブラックパンサー(2018)
19.アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018)
20.アントマン&ワスプ(2018)
21.キャプテン・マーベル(2019)
22.アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)
とんでもねえな、こりゃ。
これ本当に全部関連あるんでしょうか。騙されてるんじゃないでしょうか。タイトルだけでもあまりまとまりがない感じがするんですけど、本当にこれ全部関連あるんですか。あるみたいです。そうですか。
とにかくこれら21作品をしっかり予習して22作品目を観ると死ぬほど楽しめる、ということらしいのです。
「そんなまさかあ、せいぜい数本をかいつまんで観ればいいでしょ」
と思うのですが、僕の知り合いのアベンジャーズファン、であり幼なじみでもある太田が言うわけですよ。絶対に全部観ること、と強く言うわけですよ。
「ああ、そのうち観るよ」
太田のあまりに強い推し方に薄ら怖くなってしまい、適当に受け流しつつ記憶の片隅に「アベンジャーズ」というものを固く封印していたのですが、今回の「投資の企画を話し合うブレスト会議」で精神的に追い詰められ、弾けるようにその記憶が復活してきたわけです。
だいたい僕は口座も作れなかったような男ですよ。そんな男がブレスト会議で何を話すというんですか。投資の何を語るというんですか。さらには会議に参加している他のメンツの投資猛者っぷりが僕をさらに追い詰めるわけですよ。
- 林さん←投資をしていると豪語
- よざひかるさん←やってない風を装っていたけどたぶんコツコツと投資している
- 佐藤ねじさん←ぜったいに投資している
- わっきゃいさん←今やってない感じだったけど、そのうち絶対に始める
- 編集担当のカツセさん←ミスター投資
まわり中、投資だらけ。完全に四面楚歌。そんな中でゴリゴリの投資話を企画として採用したら、僕だけとんちんかんな記事ができるに違いありません。それを避けるためにもなるべく投資から遠そうな企画を提案したわけです。
「過去のアベンジャーズ関連作品(=MCUシリーズ)を全部観る。エンドゲームを楽しむため」
こう提案した僕には打算めいたものがありました。
投資から離れるだろうという計算はもちろんなこと、こんな企画、ボツになるだろう、という目論見です。まず、21本を一気に観るって正気の沙汰じゃないですし、インベスタイムズさんの方でもボツにすると思うんですよ。なんならメディア運営元の大和投資信託さんもボツにすると思います。あまりに投資と関係ないですから。
そうなると、「僕としてはやりたかったのにボツにされた」という大義名分が立つわけです。21本を一気に観るなんて狂気の沙汰を避けつつ、やりたいけどやれなかった、悔しい、と口から血でも流して悔しがればいいわけですよ。これでブレスト会議において「やる気十分だった」というアピールもできるし、実際には地獄の作業をする必要もないわけです。世の中ってこういう風に賢く渡っていかないとダメですよ。
それを期待して、しめしめ、ボツになるぞとほくそ笑んでいたところ、後日、この記事の編集担当のカツセマサヒコさんよりメッセージが届きました。
オッケーです。21本観てください
頭おかしいんじゃないか。
投資サイトだぞ。もっとこうNISAとかの話をした方がいいんじゃないか。それがアベンジャーズだぞ。
21本を一気に鑑賞してレビューしつつ投資の話もしてください
もうミッションが訳の分からないことになっている。どうやってアベンジャーズで投資の話をするんだ。野球の解説しながら囲碁の話をしてください、くらいの難易度だぞ。
ただ、自分で言い出したことなのでいまさらやめるとも言えず、どうするんだよこれ、と呆然としながら、アベンジャーズを鑑賞することになったのでした。本当にやるのかよ、と呟きながら。
もう一回言う。本当にやるのかよ。
編集部注:なるべくネタバレしないように書いてもらったつもりですが、流れを説明するためにどうしてもネタバレ要素を含む部分(特にインフィニティ・ウォー)がございますので、ネタバレを極度に嫌う方はご注意いただきますようお願い申し上げます。
1日目 10:00 (累計視聴時間0分)
1本目 アイアンマン(2008年) 126 min
兵器を製造・販売する巨大企業を経営するトニー・スタークは自らも工学分野の天才だった。しかし新開発の兵器をプレゼンするために訪れたアフガニスタンにてテロ組織に拉致されてしまう。その際に胸に深い傷を負い捕虜となった彼は、組織のために最強ミサイルの開発をさせられる。しかしながらトニーはミサイル開発をせず、戦闘用パワードスーツを敵の目を盗み開発。敵地からの脱出に成功する。しかしながら、自らの企業が開発した兵器がテロ組織に使用されている事実を知り、その償いをすべく、テロ撲滅に命を捧げることを決断。最先端の技術を駆使し、パワードスーツの開発に着手する。
感想
記念すべきMCUにおける最初の作品だ。今後もこのアイアンマン、トニー・スタークを中心にシリーズが展開していくことを予感させる感じだ。
2008年の作品ではあるが、作中に登場するテクノロジーは現実よりやや上をいっているように感じる。立体ホログラムみたいなのとかバンバン出てくる。その代表格が、トニーが囚われの身でありながら開発する熱プラズマ反応炉アークリアクターだ。
パッケージなど観ても分かるように、アイアンマンは胸に青い光がついている。これがそのアークリアクターにあたる。詳しい説明は省略するが、これがトニーの命を繋ぐギミックになるし、パワードスーツの動力源にもなっているようだ。
さて、全体を通して観てみると、この作品はアイアンマンであるトニーをかなり魅力的な人物に描いている印象を受ける。
天才的科学者であり、巨万の富を築いた大金持ち、兵器を売る死の商人、エゴの塊で豪邸に住み女遊びも激しい。ともすれば悪役に据えられ、別のヒーローが倒しに来てもおかしくない境遇だが、どこか憎めない。それはどこか弱いような悲しいような何かを彼から感じるからだろう。
そして、自社の兵器がテロリストに利用され、多くの悲劇を生みだしていることを知ったトニーは、記者の前で兵器の製造をやめると宣言する。それは兵器を開発することで巨大企業に成長したスターク・インダストリーズのトップとして言ってはいけないセリフだった。
株価は一気に暴落し(投資の話! 投資の話ですよみなさん!)、幹部を中心に会社はトニーを解任する動きを見せ始めた。そんな状況にあってもトニーは信念を貫き、テロ組織を壊滅すべくパワードスーツの開発に没頭する。少年のように夢中になって開発する姿を描くことにより、一気に主人公としての魅力が増している。
ただ、ここの描写はおそらくちょっと間違えていて、“自社の製品がテロリストに使われていて不幸を生み出していてショックを受けた”という言い分だが、兵器を造っている限り、それを使うのがテロリストであろうが、米軍であろうが、最終的に不幸を生み出していることに変わりはない。トニーは単に想像力がなかっただけなのだろう。自分が何を作っていて、どんな結果をもたらしているのか。
天才科学者で、億万長者で大企業のトップでありながら、その想像力のなさが不完全な部分であり、ある意味では少年的なピュアさを感じるのだ。そういった目で見ると、冒頭、新兵器のプレゼンをするトニーは、すごいものを作ったと誇らしく見せる少年のような感じもする。このあたりが主人公としての彼を魅力的に魅せる原因なのだろう。
昨今のヒーロー物は、完璧なる純粋な正義である主人公が登場し、完全なる悪を倒して終わり、という分かりやすい勧善懲悪ものではなくなっている。正義サイドの一部は正義ではないし、悪サイドの一部は完全なる悪ではない。仮面ライダーシリーズなどでもそうだが、桃太郎的ヒーロー譚から脱却した物語が求められ、ストーリーの深さが判定される時代になっている。
そういった意味では、このアイアンマンで描かれるトニーは大成功であろう。これから始まる長いMCUシリーズ、間違いなくその中心で活躍するであろう彼を魅力的に描けたことは大きなプラスになるだろう。
映画のストーリー自体も、伏線がかなり活かされていて面白く、お手本のような脚本だ。なによりアクションも映像も、心をワクワクさせてくれる。
MCUシリーズの最初を飾るにふさわしい最高の一本ともいえる。
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★★
(重要度とはMCUシリーズを理解するための必要度です。以下同様)
1日目 12:06 (累計視聴時間2時間6分)
最初はどうなることと思ったが、実は映画を鑑賞すること自体はそこそこに好きなので、立て続けに鑑賞してもそう苦しみはない。この感覚は何かに似ている。
そうだ子供の頃だ。あの雰囲気に似ている。
僕の故郷はたいそうな田舎で映画館もないレベルの街だった。けれども、年に一度、夏休み時期に市民会館に「アニメ映画祭り」的なイベントが来ていた。そこでは4本くらいのアニメ映画を立て続けに上映するという、めちゃくちゃなカオスが展開されていたのだけど、不思議と苦しさはなく、なんだかワクワクし、かなりの長時間をかけてその4本立てアニメを観ていた。
「おれ、4本どころか100本でも観れるぜ!」
幼き日の太田はそう豪語していた。たぶん僕も同じ気持ちだったのだろうと思う。あの日のアニメ映画祭りの気持ちを考えれば21本連続、行ける気がする。うん、いける。
2本目 インクレディブル・ハルク(2008年) 112min
主人公ブルース・バナーは科学者であり、軍の命令を受けて人体への放射線抵抗を研究していた。その研究実験中に事故が発生し、多量のガンマ線を浴びたバナーは、特異体質になってしまう。それは心拍数が200を越えると巨大な緑色のモンスター、ハルクに変身するというものだった。変身すると理性を失い、圧倒的なパワーで大暴れするモンスター・ハルクの軍事利用を目論む軍の追跡を逃れ、ブラジルに身を隠して治療薬開発と細胞の解明に専念するバナー。しかしながら居所がばれてしまい、軍によって送り込まれた特殊部隊に包囲されてしまう。その際に心拍数が上昇してしまい、ハルクへと変身したバナーは逃亡に成功するのだったが……。
感想
『アイアンマン』は激しいアクションを展開し、で明るく派手な舞台で、ドガーン、バーン、ドドーンと爽快なエンターテインメント映画のお手本みたいな作品になっていたが、打って変わってこの『インクレディブル・ハルク』は、全体的にしっとりと暗い雰囲気が漂っている。どこかミステリー映画のような、余命いくばくかの主人公が恋人と出会い、共に生きがいを探しに行くストーリー映画のようなしっとりとした雰囲気が漂っている。
そんな雰囲気にすっかり慣れてきたところでドカーンと緑色の化け物が大暴れするのでとにかくびっくりする。そういやそういう映画だったって思い出す。
『アイアンマン』では随所にジョークや笑いをちりばめてきたが、本作ではそういったものがほとんどない。でも、NYのシーンで、心拍数があがるとハルクになってしまうバナーがいるので、刺激の少ない手段で移動しよう、地下鉄はダメ、治安が悪いから、とタクシーで移動することになるのだけど、このシーンがめちゃくちゃ面白い。死ぬほど笑った。なんでこんなに笑ってるんだろうと一瞬冷静になるくらい笑った。
さて、このハルクも“戦争における兵器開発”が根底にある。人間の力を超越したスーパーソルジャー計画の失敗により怪物となったバナーは、ブラジルの世界一危険なスラムに潜伏し、働きながらガンマ線の影響を除去する方法を模索するわけだ。
ここでハルクには一貫して「自分のため」という動機しかない。アイアンマンの場合は、世界のためにテロリストを撲滅したい、という動機があったが、ハルクは一貫して「自分のため」だ。それは終盤でも変わらず、徹底して「自分を治す」ことに執着する。
その影響なのか、この作品には明確な“悪役”が存在しない。ただ、それだと映画として成立しないので、無理矢理にでも対立軸を作り出したような感じが否めなかった。そこは残念だ。
それでも、クライマックスでハルクが暴れるシーンは、往年のキングコングを彷彿とさせるものがあり大迫力だ。アベンジャーズ全体として今作のストーリーがそこまで重要な位置づけではないが、「ハルクという心拍数が上がると変身する怪物がいる」「スーパーソルジャーを作ろうとしてガンマ線を使った」という2つの事実を抑えておけばその後の話も楽しめそうだ。
おススメ度:★★★
重要度:★★
1日目 13:58 (累計視聴時間3時間58分)
さていよいよ3本目だ。思った以上に脳が疲れてきている。
思うに、こういった娯楽映画を何も考えずにすげー、かっけーと眺めているのと、とりあえずレビューのようなものを書こうと頭の中で整理しながら観ているのとでは脳への負荷が大きく違う。そう、早い話、めちゃくちゃ疲れてきた。
僕の小学校時代の友人に山内という男がいた。山内は当時放送していたドラマ「スチュワーデス物語」に異常に詳しいという特技を持っていた。ドラマに登場するセリフを振ると、そこから展開を延々と一人で演じている男だった。たぶんちょっと狂ってるんだと思う。
このスチュワーデス物語は、けっこうな頻度で夕方に再放送されていた。山内はそれを鑑賞するために夕方4時という、子供にとっての遊びのゴールデンタイムにおいても脱兎のごとく家に帰り、鑑賞していた。
「大好きなスチュワーデス物語を鑑賞できるんだからずいぶんと楽しいんだろう」
僕が何気なくそんなことを言った。すると山内は烈火のごとく怒った。
「全てを暗記するつもりで鑑賞してるんだ。楽しさなんかない。脳が疲れる」
その時は全く理解できず、じゃあなんで観てるんだよと思ったが、今なら理解できる。真剣に見ていると本当に脳が疲れるのだ。これ、21本目までもたないんじゃないか。急に不安になってきた。
3本目 アイアンマン2(2010) 124 min
前作『アイアンマン』のラストで報道陣を前に自らがアイアンマンであることを明かしたトニーはヒーローとして難しい立場に立たされていた。アイアンマンスーツの威力を脅威に感じた米政府はスーツの引き渡しを命令してきたのだ。そして、トニー自身も胸に埋め込まれたアークリアクターの影響で徐々に体が蝕まれていく。打つ手なく死を覚悟するトニー。そこに次々とパワードスーツを纏った敵が現れてきて……。
感想
アイアンマンの世界は一貫して「ヒーローが現実世界に存在したら」がテーマであるように思う。そう言った意味で、アイアンマンであるトニーは、天才ではあるが、例えば天から授かった特殊能力や特殊な武器などがあるわけではない。
超人的能力をもたらしているパワードスーツは自作したものだ。完全に自分の力だけで超人になり、ヒーローをやっている。
例えば、本当にそういったヒーローが現実にいた場合、どうなるだろうか。おそらくこの作品のように、その力をもたらしているスーツを政府や国家などが脅威に感じ、引き渡すように要求してくるだろう。また、それを軍事利用しようという動きも必ず出てくるはずだ。
そう言った意味でこの流れはリアルでない世界のリアリティ的な面白さがある。これは劇場版ヱヴァンゲリヲンにおいて、一国でのエヴァ機体の保有台数を3体までと定めたバチカン条約が登場してきたシーンに通じるものがある。そういやそうなるよな、と思わせてくれるのだ。
「国家の安全と利益を脅かしかねない」
と引き渡しを要求する政府に対し、トニーは自らが抑止力であり、世界平和を民営化してやっていると反論する。なんだかそのセリフが妙に印象深い。おそらくであるが、この「正義の力をどう運用するか」は全体を通した大きなテーマになってくるのではないか。
トニーに恨みを持つロシアの技術者が、トニーの敵対企業であるハマー社でスーツの開発を任されるが、ハマー社の人間にバレないように別のものを製造している。このシーンはおそらく前作のテロリスト組織でのトニーとの対比で描かれているのだと思う。
そして、前作から登場していた秘書的立場のペッパーが非常に魅力を増し、重要なキャラになっていく。特に、アイアンマンの活動に専念したいトニーから、スターク社の社長の座を譲り受けることで一気に魅力的なキャラになっていく。この社長交代で株価にどう影響があったのか気になるところだが、残念ながらその描写はない。予想では、有能なペッパーに引き継ぎ、兵器開発から撤退したことで低迷していた株価は上がったのではないだろうか(読者よ、これが投資の話だ!)。
MCU全体の流れからしても、S.H.I.E.L.D.という組織があってヒーローたちを率いて何かしようと企んでることがわかったり、そのS.H.I.E.L.D.に所属するロマノフという重要そうなキャラクターが登場してきたり、トニーの親友であるローズが改良されウォーマシンとなったスーツを身に着けてヒーロー化したりと、重要な展開が含まれている。
相変わらず迫力の映像で明るくスカッと面白い。
おススメ度:★★★★
重要度:★★★★
1日目 16:02 (累計視聴時間6時間2分)
ここにきて、エンディングのスタッフロールが癒しであることに気が付く。
前述したように、レビューめいたものを書こうと気を張りながら映画を鑑賞することはかなり脳が疲れる。ただ、エンディングのスタッフロールだけは別だ。
中には、「お、音響監督ハワードじゃん、やるう」とか真剣に見る人もいるかもしれないが、僕はそういうことはないので、スタッフロールだけは何も考えずにポカーンと観ることができる。癒しの時間だ。
時間短縮のため、エンドロールを観ずに次の作品に行くことも考えたが、こうした癒しの時間を捨ててはならないこと、さらにここまで3本鑑賞して気が付いたが、MCUシリーズはたいていちょっと凝った画面のエンディングがあったあとに次のシリーズへの展開を匂わせるシーンが来て、さらに本格的なスタッフロールのあとにも“うおおおお”ってなるようなシーンが残されている。それ故にエンドロールを飛ばすわけにはいかない。
僕の大学時代の友人に、エンドロールを飛ばすとめちゃくちゃ怒りだす竹下という男がいた。
この竹下と映画館に行くと、エンドロールで席を立てないのはもちろんのこと、席を立った他の観客にまで「エンドロールで立つな!」と怒声を浴びせるので、ヒヤヒヤして本当に嫌だった。
ただ、その竹下と「もののけ姫」を観に行った時だったと思う。圧巻の映像に、誰一人席を立たなかった。でも、お腹が痛かった竹下が席を立った。エンドロール中にばつが悪そうに席を立った竹下の姿を一生忘れることはない。自らが否定した行動を自らが犯す。彼は苦悶の表情だった。それが悔しさからなのか、腹痛からなのか、誰にも分らなかった。
そろそろ何の話をしているのかわからなくなってきたけど、4作目だ。まだ17本もある。テンポを上げなくてはならない。
4本目 マイティ・ソー(2011) 114 min
遠い遠い宇宙の先にある世界、アスガルドの王オーディンの子として育てられた戦士ソーとロキ。王を継ぐのはソーと思われたが、その式典を敵対する種族ヨトゥンヘイムに妨害されてしまう。それに激怒したソーはヨトゥンヘイムへと攻め込むが、それが裏目に出てアスガルドを危機に陥れる結果となる。ソーの傲慢さ、思いやりのなさに激怒したオーディンはソーから雷神の力を奪い、地球へと追放する。全てを失ったソーは降り立った地球である女性に出会うが……。
感想
突如として舞台がアスガルドに移り、遠い宇宙の神々が住む中世的世界になるので、途中まで半信半疑で鑑賞していた。ここまでずっと地球を舞台にやってきたMCUシリーズにどうやって絡んでくるのか全然分からず、もしかして無関係の作品を見せられてるのではないか、騙されているんじゃないか、と不安になったのだ。
だから、「あらすじ」にあるように、怒れる王によってソーが地球に追放されたシーンは色々な意味でホッとした。あ、やっぱ地球に来るんだ。これでアベンジャーズシリーズと関連が出てくるんだ、騙されてなかった、と胸を撫で下ろした。
物語自体は、非常にわかりやすい展開で、ソーの成長物語といえる。王として足りないものは何か、必要なものは何か。序盤のソーは傲慢で自信満々、あらゆることを舐めてかかっていて思いやりもない状態だった。それが何も持たぬ状態で辺境の地球に放り出され、どんどん成長していく。その分かりやすさは疲れた脳に心地よい。
ソーの持つハンマーも地球に落ちてきているが、どんな重機をつかってもそれを移動させることができない。持つにふさわしい人物しか持てないのだ。果たしてソーはハンマーを持てるのか。分かりやすい。最高。
その反面、ソーの弟であるロキの描かれ方は複雑だ。ロキは一貫して、何がしたかったのかわからないように描写されている。悪として成長していくのだけど、本当にお前はそうしたかったのかと問いたくなるシーンが多い。それが彼自身を非常に魅力的で深いキャラにしているような気がする。
全然関係ないけど、この作品においては地球を舞台としたシーンはそう多くない。ほとんどがソーの持つ特別なハンマーが落下してきた地点か、その近くの田舎町の街角で物語が展開する。
その田舎町の街角のシーンで必ずセブンイレブンがフレームインしていて、なんか気になるなあと思ってたら、クライマックスのシーンで見事に破壊された。意味不明に壊された—! とか叫んでたのでちょっと疲れが本格化してるのかもしれない。
化け物じみた力を持つヒーローが出てきてハチャメチャに暴れるというわけでなく、これまでのシリーズでは一風変わった状況なので非常に面白かった。シリーズ全体から見ても、地球だけのお話ではなく、アスガルドを含む宇宙にまで一気に話が展開したわけで、非常に重要な作品となっている。
おススメ度:★★★★
重要度:★★★★
1日目 17:56(累計視聴時間7時間56分)
太田のことを思い出していた。
「おれ100本は行けるぜ」
と市民会館のアニメ映画祭でそう豪語していた幼なじみだ。小学校からの腐れ縁で、現在でもちょくちょく連絡を取るが、そういえばその太田が好きな女の子を映画に誘ったことがあった。高校生の時だったと思う。
「やっぱり女をものにするには映画だぜ」
僕らの住んでいた故郷は本当に田舎なので、映画を観るには列車に乗って隣の市まで行く必要があった。必然的に映画だけでは終わらず、やや都会の街でデートもする流れが多かった。
「やっぱり映画だよ、彼女を作るなら」
マンガ祭りなら100本観れる、とか言ってた鼻たれ坊主がそう豪語した。
ならば僕もと太田に倣って当時好きだった、ミサキちゃんという女の子を映画に誘ったのだ。
「ちょっと家庭の事情で映画見ちゃいけないことになってるんだ」
とよく分からない文句で断られたのだった。果たしてどんな家庭の事情なのか理解できなく、当時としてはかなり困惑したものだった。まあ、フラれたことだけは理解できる。
当時の僕は、太田さえあんなこと言わなければミサキちゃんにフラれることもなかったのに、と憎悪の念を燃やしたものだった。なんでそのことを思い出したのだろう。
それはおそらく、この5本目の「キャプテン・アメリカ」に「ファースト・アベンジャー」というサブタイトルがついているからだろう。直訳すると「最初の復讐」だ。
そう、太田に抱いた想いこそ、僕のファースト・アベンジャーなのだ。いつか復讐してやろうと最初に思った記憶なのだ。
5本目 キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011) 124 min
舞台は第二次世界大戦(WW2)中のアメリカ(1942)。ニューヨークで身体検査を受ける主人公のスティーブ・ロジャースは華奢な体型が災いし、ことごとく入隊拒否されてしまう。大親友のバッキーは入隊していき、戦地へと送られるがスティーブは叶わない。国のために働きたいと切望するスティーブの焦りはさらに大きなものになっていったが、偶然出会ったアースキン博士に見出され、彼の計らいで「スーパーソルジャー計画」の被験者候補に。血清を打たれ強靭な肉体を手に入れることとなり、入隊も果たしたが、様々な事情でスーパーソルジャーは不要となり、スティーブはお役御免となった。前線で戦うことなく、星条旗を模した衣装を着たマスコット、キャプテン・アメリカとして戦地で軍の士気を上げる活動に従事する。そんな折、親友バッキーが所属する107部隊が、ナチスの秘密部隊ヒドラの襲撃を受けて捕らえられたことを知る。
感想
舞台が第二次世界大戦時代になると知り、どのようにして現代のアベンジャーズと関りを持たせるのか心配だったが、その回答はこの作品の冒頭できっちり説明されていた。
「ファースト・アベンジャー」と銘打っていることから、一連のMCUシリーズの発端となるエピソードなのだと思う。
ここでも「戦争」によって「兵器」を造ろうと兵士を「超人化」した経緯が説明される。アベンジャーズシリーズは必ず戦争が背景に登場する。そしてその狂気が多くの悲劇を生み出している。
ここまでのMCUシリーズに登場した主人公は、アイアンマンにしても、ハルクにしてもソーにしても、どこか正統なヒーローではないところがあった。なりきれていないと言った方が正解かもしれない。エゴが大きく出て、「誰かのために戦う」という思想はそう感じられないのだ。そこが現代らしいといえば現代らしいのだ。
けれども、その対比として描かれる「キャプテン・アメリカ」は古いヒーローなので、ステレオタイプの正統ヒーローとして描かれている。アメリカを愛し、アメリカのために働きアメリカのために死にたいと考えているのだ。その一途な想いはどこか融通が利かないイメージをもたらすが、その不器用さも正統ヒーローのそれなのだ。それらがこれまでのキャラとの対比になっていて興味深い。
映画全体としては映像としての派手さはない。キャプテン・アメリカは超人的な体力を有しており、特殊な盾を使うが基本的に戦い方は地味だ。
ちなみに、主人公といい感じになるエージェントカーターがめちゃくちゃかわいい。これまでのシリーズに出てきたヒロインの中でも群を抜いている。
アイアンマンに次いでシリーズの中心人物として活躍するキャプテン・アメリカの誕生を描いた物語ではあるが、トニーの父親が登場してきたり、後に重要なアイテムとなるコズミックキューブが登場してきたりと、物語の鍵を握る伏線が数多く存在するので是非とも鑑賞しておきたいところだ。
おススメ度:★★★
重要度:★★★★
1日目 20:00(累計視聴時間10時間0分)
そういえば、エンドロールを飛ばすと烈火のごとく怒りだす大学時代の友人、竹下が「夏休みめちゃくちゃ暇だから」という理由で、僕の帰省についてきたことがあった。
故郷に戻ると、同じく帰省していた太田と山内と近況報告をしながら酒でも飲むか、ということになった。「スチュワーデス物語」を暗記する山内とファースト・アベンジャー太田だ。奇しくも、このぶっ続け鑑賞を始めてから僕の回想に登場した連中が集結したことになる。
大学の友人と、故郷の友人、それはなんだか決して出会うことのない人間を引き合わせてしまったような、別個の宇宙、例えばアスガルドと地球を繋いでしまったような、ワクワクする違和感みたいなものがあった。
「こちら大学の友人で竹下君」
と紹介すると、山内も太田もにこやかな笑顔で応えてくれた。よかった、仲良くなれそうだと安堵したものだった。
しかし、酒が進んでくると事態が一変した。ファースト・アベンジャー太田が「映画ではエンディングを観ない」と豪語したのだ。それにエンドロールを飛ばすと烈火のごとく怒りだす竹下が烈火のごとく怒りだした。
掴み合いの喧嘩になりそうな激しさで「あわわわわわ」となってしまった。
「ちょっと、二人を止めろ!」
と「スチュワーデス物語」を暗記する山内に指示すると、山内はカルアミルクのグラスを傾けながら語りだした。
「『スチュワーデス物語』のエンディングは、教官とスチュワーデス訓練生がジャンボジェットをバックに歩いてくるんだ。ずっとそれだけ」
知らんがな。
「ほんとただ歩いてるだけのエンディング。でも徐々に近づいてきて、あー教官が先頭だーって最後の方にわかる」
知らんがな。
こうして大混乱のまま飲み会は終わったのだった。
違う世界線にあるものを混ぜてはいけない。そこには混沌しか生まれないのだ。そう誓ったものだった。
6本目 アベンジャーズ(2012) 144 min
アスガルドから宇宙空間に飛ばされたソーの弟ロキはチタウリという種族と手を組み地球を侵略することを決意する。ワームホールを利用して地球に降り立ったロキはコズミックキューブを奪うことに成功する。地球滅亡の危機に、ハルク、アイアンマン、キャプテン・アメリカが集められ、ロマノフ、バートンと共にソーも加わりついにアベンジャーズが現実のものに。アベンジャーズはチタウリの地球侵略を食い止めることができるのか。
感想
あー、なるほどーそういうことかー!
この映画を観て最初に抱いた感想がそれだった。これがまあ、とにかく爽快で分かりやすくできているのだ。エンタメ映画の決定版と言ってもいい造りだ。
映画ファンは、その度合いが深くなればなるほど映画に対して深い考察を持たねばならないと思いがちだ。結果として、ちょっと斜に構えてみたり穿った見方をしたり、素人然とした分かりやすい構造を小ばかにしがちだ。
「このシーンは監督の思想が如実に表れていて、いわゆるカウンターカルチャーとしての……」
とか小難しいことを言いがちだ。
けれども、このアベンジャーズはそんなものを一蹴。とにかくすげー、うおー、爽快—、映像すげー、アクションすげー、と唸るしかない作品に仕上がっている。そう、これが映画だ!
もちろん、単体として面白い映画に仕上がっているのだけど、これまでに観てきた5本のシリーズ映画によって、それぞれの主人公や、その脇を固めるキャラクターに感情移入ができているので、より深く楽しむことができる。
おまけに、敵役すらもシリーズを通して馴染みがあるので、かなり没頭して楽しむことができる。かなり深いところまで彼らを理解しているので、ちょっとした表情の変化や仕草を受けて、その意図が分かるのだ。これはシリーズを鑑賞していないと絶対に分からない。
決して交わることのない世界線のキャラクターたちが上手に合流していき、最初はちぐはぐながらもクライマックスでは団結力を発揮、チームワークでチタウリの襲来に対抗する。全員勢ぞろいで迎え撃つ陣形をとるシーンはもはや胸が高鳴りすぎてどうにかなってしまいそうだ。
何度も言うことになってしまうが、深い考察だとかそういうのはどうでもいい、ただただ楽しい。映画とはそういうものなのかもしれないね、ということが言いたいのだ。
クライマックスでは宇宙からチタウリの軍勢が召喚されてきて戦闘が始まるので、ニューヨークの街がめちゃくちゃになる。実際のニューヨークでこんな騒ぎになったら一気にダウ平均株価とか下落して、日本にもその影響がくるかもな(投資の話!)という想いで眺めていた。
ちなみに、変身前のハルクを演じる役者が変更になっている。個人的には新しい人の方がハルクっぽい。
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★★★
1日目 22:24(累計視聴時間12時間24分)
さきほど鑑賞した6本目『アベンジャーズ』までで、一連のシリーズの一つの区切りが終わったらしい。6本目までが「フェイズ1」であり、この7本目から「フェイズ2」となる。最終的に『アベンジャーズ/エンドゲーム』までで「フェイズ3」らしいので、まあ、ざっと1/3が終わったというところだろうか。
ここまでの視聴時間が12時間。ただ、だんだんとシリーズを重ねるごとに上映時間が長くなっている気がするので、この先はとんでもない長さの作品が出てくるのかもしれない。長けりゃいいってもんじゃないだろうに。
ただ、ここまで観てきて、太田の言った「アベンジャーズを観るなら全部観るべき」という言葉は真実だったと理解した。最初は「そんなまさか、これだから盲目的なファンは」などと思ったが、6本目『アベンジャーズ』を観て完全に理解した。
これは投資なのだ。集大成的な「アベンジャーズ」の名を冠した作品を心の底から楽しむため、他の派生的な作品を鑑賞する。おまけにその派生作品も1つの作品として成立していて十分に面白い。これはすごいことだ。
本来、投資とはこうあるべきなのかもしれない。ある目的のために投資をするが、その投資自体も楽しく、胸がワクワクするものじゃないだろうか(投資の話!)。
ということで、気持ちを新たに「フェイズ2」の作品を鑑賞していく。
7本目 アイアンマン3(2013年) 130 min
ヒーローたちの団結でチタウリの襲来から地球を救ったアベンジャーズ。しかしながら、アイアンマンであるトニーを取り巻く環境は大きく変化していた。会社をペッパーに任せてスーツの開発に没頭するトニーだが、これまでの戦いにおける心へのダメージから不眠症やパニック障害を患っていた。そんな折、アメリカ国内ではテロ組織マンダリンが各地で爆破テロを行い電波ジャックによって犯行声明を出していた。そして、ペッパーと大統領がテロ組織に拉致されてしまう。
感想
シリーズ7作目であり、なおかつ「アイアンマン」シリーズとしても3作目となるこの作品。ただし、「アベンジャーズ」シリーズ向けというよりは、アイアンマンファン向けというか、アイアンマンや主人公のトニーというキャラクターを一度固定させるために作られた作品のように思えた。
その証拠に、敵役がシリーズを通してもっとも魅力がなく、たいした悪党でもない。ちょっと役不足では、と思うほどだ。その代わり、トニーの内面での葛藤を描くことに大きな労力が割かれているように感じる。
6本目『アベンジャーズ』のラスト、チタウリとの死闘によって心理的なダメージを負ったトニーは、依存するかのようにアイアンマンスーツ開発に没頭する。その没頭具合はすさまじく、スーツ依存症といえるほどだ。実に42体のスーツを開発したらしく、改良に改良を重ねて遠隔操作できるほどになったくらいだ。
作品中のトニーは「いかにしてスーツ依存から脱却するか」というテーマに沿って行動する。スーツ依存は特殊な例だけど、ここでセリフは妙に重くて、僕らの日常生活に忍びよるあらゆる誘惑や依存に適用できるものだと思う。
そのあたりにかなりのウェイトが割かれているので、やっぱり敵役があまりに薄い。全然印象に残らない。そういった事情もあって、これはMCUシリーズにおいてはあまり必要のない作品のように思える。
ただし、3作も作られた「アイアンマン」シリーズを、いったんちゃんと完結させるというか、オチをつけるというか、終わらせる必要があったのではないか。もちろん、今後のアベンジャーズにアイアンマンは出るのだろうけど、「アイアンマン」シリーズとしてはきっちりオチをつける必要があった。
最終決戦の舞台でのあらゆる展開がはちゃめちゃすぎて、もうなんかこれがアイアンマンだよなあ、と感じて笑ってしまった。
おススメ度:★★★
重要度:★★
2日目 0:34 (累計視聴時間 14時間34分)
いい加減に幻聴みたいなものが聞こえ始めてきた。
このMCUシリーズではキュイーンっていう効果音がたくさん出てくる。それが全然関係ない場所で聴こえてくる。
これはアイアンマンの武器で、手の平から放たれるエネルギー砲みたいなものがチャージされる音なのだけど、これがたくさん出てくるし、やけに耳に残る。全然関係ないエンディングとか眺めていてもキュイーンって聴こえたような気がしてくる。きっと14時間以上も鑑賞し続けたことによる弊害だろう。
幻聴と言えば山内だ。
病的なまでにドラマ「スチュワーデス物語」を愛し、その全てのセリフを暗記するという異色の経歴を持つ男だ。
特に、教官(風間杜夫)とその婚約者(片平なぎさ)のやり取りのシーンが好きらしく、繰り返し繰り返し鑑賞し、繰り返し繰り返し再現して見せた。その熱の入りようは鬼気迫るものがあった。何が彼をそこまで駆り立てるのか。
確か、教官(風間杜夫)は、スキーかなんかで婚約者(片平なぎさ)の両手を轢いてしまい、婚約者(片平なぎさ)は両手が義手になってしまったはずだ。ピアノが得意な人から両手を奪ってしまったことに引け目を感じ、婚約したとかそういうことだったと思う。
教官(風間杜夫)は婚約者(片平なぎさ)に対して愛を失っているが、婚約者(片平なぎさ)もその辺はよく理解していて、教官(風間杜夫)がそういった愛のない素振りを見せるとこれ見よがしに口を使って手袋を取り、義手を見せつけ、あなたのせいでこうなったんだ、いまさら逃げられると思うな、とアピールしてくるのだ。怖い女だ。
山内はこのシーンがとにかく好きで、いつも再現してた。それこそ数千回はやったんじゃないだろうか。
そして異変が起こった。あまりに再現ドラマをやりすぎて、婚約者(片平なぎさ)部分のセリフが幻聴として聴こえてくるようになったというのだ。山内、17歳の春のことである。
ギャギャギャ(口を使って手袋を外す音)
婚約者(片平なぎさ)「この手はあなたにもぎ取られて義手になってしまったのよ。防ぐ手もない私を殴るなんて」
婚約者(片平なぎさ)「あなた最低な男よ!」
教官(風間杜夫)「ああ、俺は最低の男だ」
教官(風間杜夫)「最低の教官だよ」
教官(風間杜夫)「総合最終試験で松本(堀ちえみ)を落第させちまったんだからな」
教官(風間杜夫)「全くなっちゃいないね。俺なんかとても教官とは言えない」
カランカラン(ウィスキーのグラスを傾ける音)
というやり取りなのだけど、手袋を外す音と婚約者(片平なぎさ)のセリフがあって初めて「ああ、再現してるんだな」と理解できるのに、肝心の手袋の音と婚約者(片平なぎさ)のセリフは幻聴として山内の耳に届いているので、僕らには聴こえない。結果、突如として教官(風間杜夫)のセリフから始まる。
教官(風間杜夫)「ああ、俺は最低の男だ」
突然こんなことを言い出すのだ。僕らからしたら「その通りだが? なにか?」という反応しかできない。
なんの話だっけ? スチュワーデス? あちがう、アベンジャーズ物語だっけ? あ、ちがうちがう
「アベンジャーズ」シリーズだった。
ということで8本目。
8本目 マイティ・ソー/ダーク・ワールド(2013年) 112 min
宇宙に9つある世界が直列する惑星直列によってそれぞれの世界の境目が曖昧になってしまう。地球でソーを待つジェーンは、境目が曖昧になった場所に迷い込んでしまいアスガルドの地中深くに転移してしまう。そこで4次元キューブであるエーテルを吸収してしまう。ソーはジェーンの異変を感じ取りアスガルドにジェーンを連れていくが、ジェーンに取り込まれたエーテルがアスガルドにきたことを最も邪悪なダークエルフであるマレキスが感じ取ってしまいピンチに陥る。
感想
『マイティ・ソー』の続編となる本作だが、こちらもあのニューヨークでのチタウリとの戦闘のその後を描いた作品になる。あの戦闘の後、ソーはアスガルドに帰還し、その際にチタウリを率いて地球を侵略しようとしていた弟ロキも連れて帰り、幽閉する。
この作品においてはロキの魅力を引き立たせるという最大目標があったんじゃないだろうかと思うほどにロキが魅力的に描かれている。悪なんだけど悪じゃない、みたいな魅力的な敵役を描き、ヒーローだけどヒーローじゃないという主人公サイドを描く、それもMCUシリーズの魅力なのだと思うのだけど、早い話、複雑すぎてそのどちらにも属するのがロキじゃないかと思う。悪でもありヒーローでもある。そして最後まで何を考えているのか分からない。それだけにこのキャラクターは深い。たぶんロキってむちゃくちゃ人気あるんじゃないかな。
映像的にも面白い部分があって、惑星直列によって世界の境界が曖昧になることにより、あちこちの世界に飛びながら格闘するシーンがあって、ちょっと今までにない映像体験だった。
前作で主人公ソーといい感じになった地球の女ジェーンがアスガルドにやってくるシーンも興味深い。アスガルドのソーと地球のジェーン、二人が会うといってもソーが地球に来ることばかりでジェーンがアスガルドに行くことはなかった。
けれども、様々な事情があってついにジェーンがアスガルドにやってくる。そこで王とか王妃とかの対応が、まんま、実家に彼女とか婚約者(片平なぎさ)を連れていったらこんな感じで、少々バツが悪い、気恥しい感じなんだろうなという気がした。
ちなみに、これまでのシリーズにおいて不思議で強大な力を持った石が数多く登場してきており、この作品でもエーテルと呼ばれる石が登場してくる。どうやらそれらはこの宇宙に6つあってインフィニティ・ストーンと呼ばれ、シリーズにおいて重要な役割を担うであろうことが分かってくる。
おススメ度:★★★
重要度:★★★
2日目 2:26 (累計視聴時間 16時間26分)
大学生だった頃、僕らの住む街に“謎バス”と呼ばれるミステリアスなバスが存在した。
それは、果たして正規のバスだろうか、ちゃんと許可みたいなものを取っているのだろうか、と不安になってくるバスで、完全無欠にボロボロの車体だった。バス停も徹底的に錆び付いており、おまけにもともと錆び付いていなくても錆び付いているように見えるダサいカラーリングだったこともあり、もう訳の分からない不気味さを演出していた。
本数自体が少ないので滅多にそのバスを見かけることはなかったが、見かけた際も行先表示が聞いたことのないような地名で、それがどこにある集落なのか皆目分からない場所だった。
そんなバスなので大学内でもちょっとした噂で、謎バスに乗ると異世界に連れていかれるだとか、恋人といる時に街で見かけたら別れるだとか、死人を運ぶバスだとか様々な噂が蔓延していた。
そんなおり、大学時代の友人、竹下が言い出した。エンドロールで席を立つと怒り狂うあの竹下だ。夏休みに僕の帰省についてきて幼なじみである太田と大喧嘩したあの竹下だ。
「謎バスに乗ろうぜ!」
噂は蔓延しているけど、けっこう不気味な感じで誰も乗りたがらなかったバスだ。けれども、竹下は乗ろうと言った。どうやら竹下には「謎バスに乗ると恋人ができる」という噂が届いていたらしい。
「おまえも恋人欲しいだろ~」
そりゃあ欲しいけど、竹下の場合は恋人ができて一緒に映画観に行ってもエンディングで怒り狂うから、と考えていた。そして、いつのまにか一緒に謎バスに乗ることになっていた。
怪しげなバス停に立って竹下と待っていると、謎バスがやってきた。料金の支払い方も分からぬまま乗り込む。どうやら雰囲気的に後払いらしい。
さすがにこれはわざとやってるだろう、と思うほどに異常に揺れるバスはどんどんと山の中に入っていき、本当に異世界に連れていかれるんじゃないかと心配になり始めていた。
「俺さ、本当に彼女が欲しいんだわ」
揺れるバスの車内で竹下はそう言った。うん、男子大学生はだいたいみんなそうだ。
「俺も」
そう言ったっきり、車内は静まった。まるで沈黙という名前の気体が存在していて、隙間なく周りを満たしていると思うほどに静かだった。聞こえるのは僕らしか乗せていないバスのエンジン音と、正体不明の鳥の声だけだ。
誰も乗ってこないと思ったが、山奥の石造りの橋を超えたあたりにあった集会所のバス停で、お婆さんが乗ってきた。
謎バスが持つ数々の噂の一つに、途中で婆さんが乗ってきて急に自害する、という、果たして婆さんは何がしたかったのかと言うしかない噂があったので、いつ婆さんが自害するかとハラハラとして見守っていた。でも自害はしなかった。
「彼女できるといいな」
謎バスは彼女を作ってはくれない。異世界にも連れて行ってはくれない。ババアも自害しない。ただ普通に見たこともない集落に到着しただけだった。
「帰りのバスねえよ」
終点で降りた僕らは途方に暮れた。太陽がオレンジ色になって稜線に隠れようとしていた。
そして、同じく終点で降りた自害しなかった婆さんの背中を観たら、「ソルジャー」と英語で書かれていた謎のトレーナーを着ていたのだった。
これから見る9本目『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の「ソルジャー」の部分に反応してそんなエピソードを思い出してしまった。
9本目 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー(2014年) 135 min
70年のブランクを埋めて現代に順応すべく、キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースはS.H.I.E.L.D.で働きつつ日常生活を営んでいた。 そんなおり、S.H.I.E.L.D.の長官であるフューリーは“ウィンター・ソルジャー”のコードネームを持つ兵士の襲撃を受ける。フューリーは虫の息になりながらもスティーブにS.H.I.E.L.D.が危険だと警告する。そしてS.H.I.E.L.D.に疑問を持ち協力を断ったスティーブ自身も指名手配されてしまう。果たして、ウィンター・ソルジャーの正体とは。
感想
スティーブ・ロジャースの隣の部屋に住むナースが完全に僕の好み。
そんなことはどうでもいいとして、この作品で一連のMCUシリーズが大きく舵を切る。早い話、かなりストーリーが動く。
70年の氷漬けから目覚めたスティーブは、あのニューヨークでのチタウリとの激闘を経て、キャプテン・アメリカとしてS.H.I.E.L.D.で働いていた。S.H.I.E.L.D.はアベンジャーズを集結させ、サポートする役割を担う組織だ。そのS.H.I.E.L.D.から出される任務をこなしていたスティーブだったが、次第に疑問を抱き始める。
このあたりは、ドガーン、バーンという爽快なアクションがありつつも、シリアスなサスペンステイストが流れている。普段ならけっこう好みな展開なのだけど、いかんせん、16時間以上もぶっとおしで鑑賞しているので、どういった話なのかちょっと理解が追い付かなくなってくる。この状況ならドガーン、バーン、スゲーのほうが助かる。
まったく理解が追い付かないのだけど、S.H.I.E.L.D.は宇宙からの脅威だけでなく地球の内部からの脅威に備えるためにもインサイト計画なるものを実現させようとしていた。衛星を使ってあらゆる情報を監視し、未然に敵を察知して排除するというものだった。
この作品は、2014年の作品なので、ちょうどその前くらいに、アメリカでそういった監視社会に対する内部告発が話題になったはずだ。おそらくそんな感じのやつだ。
で、結局、インサイト計画に対してスティーブは不信感を持つし、S.H.I.E.L.D.の内部にも裏切り者がいるっぽいし、誰を信じていいのか分からない疑心暗鬼状態になり、ヒドラの残党によってS.H.I.E.L.D.が内部崩壊する。
そして途方もないパワーを発揮してフューリーやスティーブに襲い掛かるコードネーム“ウィンター・ソルジャー”が出てきてその正体がわかる。めちゃくちゃ意外なあの人だ。
この辺は前作の『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』をしっかり見ておけば「うおー」となる。そしてこの人物がかなり重要な役割を担っていく。
どうやら「キャプテン・アメリカ」シリーズはMCUシリーズの中でもかなり重要なエピソードを担っていくみたいだ。かなり話が動く。ただ、こういう展開は本当に頭が疲れる。元気な時に鑑賞したいものだ。
あと、やっぱりナース役の人が完全に好み。また出てきたりしないかな。
おススメ度:★★★
重要度:★★★★
2日目 4:41 (累計視聴時間 18時間41分)
「合コンしないか?」
たぶんドコモの携帯電話だったと思う。初めて液晶画面がカラーになった機種だ。機種変更によってその新機種を手にした僕のテンションは高かった。当時の携帯電話は確か番号そのままで機種変更ってやつがなかったような気がする。つまり、機種を変えるごとに番号が変わっていた。
すぐに古くからの友人である太田に電話をし、番号が変わったことを告げると、太田は開口一番、冒頭のセリフを言った。
太田は高校時代に一緒に映画を観に行って付き合うことになった彼女と大学生になっても続いていた。それどころか、同じ都市の大学に進学し、半同棲みたいな状態になっているらしい。そして、その彼女の友人が合コンを熱望しているらしく、じゃあ二人で友人を集め合って合コンをしよう、ということになったのだった。
その瞬間、あの謎バスで呟いた竹下の顔を思い出した。
「彼女が欲しい」
そう言った竹下の顔を思い出すたび、思い出の中の彼の表情が切なさを増しているようにすら思えた。
「俺も友達を連れて行っていいかな」
合コンが開催される場所は、太田と彼女が住む街だ。ここからは少し遠い。それでも、あの切なげな顔をした竹下を連れて行こうと思った。謎バスに乗ったくらいだ、多少遠くても行くだろ。
「いいけど、あのエンドロールのやつはだめだからな」
そうだった。太田と竹下は6作目の『アベンジャーズ』の回想のところでエンドロールを観る観ないで喧嘩しているんだった。
「だ、大丈夫だよ」
そうは言ったものの、連れて行ってしまえばこっちのもんだと思った。
「山内も呼んだから」
「スチュワーデス」物語を全て暗記し、片平なぎさの幻聴が聴こえるまでになった山内までも、これまたやや遠い場所から召喚されてくるらしい。
「アベンジャーズ再集合か」
電話口で呟いた。いや、当時はアベンジャーズは影も形もない時代だ。さすがにここはセリフを捏造させてもらった。ただ、こう言った方が盛り上がると思ったからだ。なんとか見逃して欲しい。
またあのメンバーが集結する。あのカオスが到来する。楽しみでもあり、怖くもある。買ったばかりの携帯電話を強く握りしめた。
10本目 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014年) 120min
母親を亡くした少年、ピーター・クイルはラヴェジャーズを名乗る宇宙海賊によって地球から拉致されてしまう。それから26年、成長したクイルは惑星でオーブを盗み出そうとしていた。オーブを巡ってのどたばたの末、遺伝子操作をされたアライグマのロケット、その相棒の樹木型ヒューマノイドのグルート、ガモーラと共に逮捕され刑務所に入れられてしまう。ロナンに対して恨みを抱くドラックスを加えて、オーブを売るべく刑務所を脱走するが……。
感想
ついに10作目までたどり着いた。かなり脳が疲れているのだけど、ここにきて新しいヒーローというか、新しい世界線が登場してくるらしい。
ただし、9作目の『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のようにややシリアスで小難しい展開ではないようだ。愉快で特徴的な仲間たちが宇宙の様々な場所で繰り広げるドタバタ劇、いわゆるスペース・オペラと表現すれば適切だろうか。こういう作品は非常に助かる。
また、音楽の使い方がとても上手で、すっと頭の中に入ってくる。
この作品を語る上で重要なファクターは冒頭にある。この作品は宇宙での話がほとんどだが、冒頭だけ地球でのシーンが展開される。そこでは、主人公であるクイルの母親が病院のベッドで死の淵に瀕している。
「私が死んだら開けて」
とプレゼントを渡されるクイル。そして事切れる瞬間、手を握って欲しいと母親が差し出した手を少年クイルは握ることができなかった。僕自身も若い時に母親を亡くしているので、このシーンは人の4倍くらい感情移入して泣いてしまった。たぶんきっと母の手を握らなかったことをずっと後悔するのだろう。
その後、クイルは病院の外で宇宙船に拉致される。
場面が変わり、成長したクイルは宇宙を舞台に盗賊みたいなことをして活動していた。その中で、あの少年時代に母親より「わたしが死んだら開けて」と手渡された包みが開封されていない状態でしまわれている描写がある。つまり、クイルは長い時間ずっとこの包みを開けていないわけだ。少年から大人になるまでずっとだ。
これはおそらく母親の死を受け入れていない状態なのだと思う。この気持ちは痛いほどわかる。きっと、この包みを開けられたとき、母の死を受け入れて乗り越えられたといえるのではないだろうか。そしてその中身はいったいなんなのか。この先は是非とも鑑賞して欲しい。
個人的にはここまで鑑賞してきていちばん好きな作品。一緒に旅するメンバーも個性的で親しみやすく、なにより、雰囲気が明るいので、そろそろ死ぬほど眠たくなっている今の状況には最適だ。
ただ、このガーディアンズのメンバー、ほとんどアベンジャーズのメンバーと接点がなく、冒頭でちょっと地球がでてくるだけでそれ以外はまったく別個のところでストーリーが展開している。これがこの後どうやってアベンジャーズと関わっていくのか皆目見当がつかない。
そしてなにより、エンドロールへの入り方とそこの音楽が最高だ。やはりここの入りがいい作品は全てが良くなる。竹下じゃないけどエンドロールは重要なのだ。
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★★
2日目 6:41 (累計視聴時間 20時間41分)
知らない街だった。
聞いたことのないような路線の電車を乗り継ぎ、見たことないカラーリングのバスを乗り継いで、太田が暮らす街へとたどり着いた。見たことのないバスの車内では、謎バスのことを思い出して竹下と顔を見合わせて笑ってしまった。
すっかり日が落ち、マンションとネオンの隙間からは消えそうに欠けていく月が見えていた。
竹下をここまで連れてくるのは大変だった。合コンには乗り気なものの、その主催者があの大喧嘩の相手であった太田だと知ると途端に難色を示した。
「あいつはエンディングロールを観ない人間だからな。そんなやつは人として信頼できんよ」
いつも思うのだけど、どうして竹下はエンドロールを「観る/観ない」でその人の人間性全てを測ろうとするのだろうか。結局、なだめすかして、今度から太田にもエンドロールを観させる、命に代えてでも、というよく分からない密約を交わし、合コンにこぎつけた。
集合場所に行くと、すでに太田の姿があり、山内の姿もあった。おまけに太田の彼女の姿もあり、その友人と思われる女性も2名いた。よくよく考えると男サイドが太田を入れても4人、そして女性サイドが太田の彼女を入れても3人だ。男が1人余る計算になる。
「全員揃ったな」
そう言いながら、太田は苦虫を噛み潰したような表情を見せていた。きっと、竹下が来たことを快く思っていないのだろう。まあ、ここまで来たらこちらの勝ちだ。遠路はるばるやってきたのに門前払いなどできるわけがない。
「じゃあ近くの店を予約しているから」
太田に促されてゾロゾロと歩いて行く。ゾロゾロと塊になって歩く。そこで山内が口を開いた。
「こういう感じで教官と訓練生がジャンボジェットをバックに歩いてくる。それがスチュワーデス物語のエンディングだ」
その言葉に女の子たちは心底不思議そうな表情を見せていたけど、男どもは「今日も地獄がはじまるぜ」と苦悶の表情を浮かべていた。
店に到着すると、僕の前には太田の彼女が座った。
「映画を観に行って付き合うようになったんですよね」
そう質問すると彼女は深く頷いた。
「実は僕が連れてきたあの男、竹下って言うんですけど、謎のローカルバスに乗ってしまうくらい追い詰められていてどうしても彼女が欲しいみたいなんです。サポートしてやってくれませんか」
こうやって根回しする僕は本当にいいやつと思うかもしれないが、完全なる正義などこの世にはないのだ。こうアピールすることで、太田の彼女経由で女の子たちに「あの人、友達想い、良い人」と伝わることを期待しているのだ。
太田の彼女は「まかしといて!」という仕草を見せた。そこは快諾じゃない。こんな心遣いができる良い人、素敵、友達にも勧める、だ。本当に分かってんのかな。
色々な料理やお酒が運ばれてきて合コンが進行していくが、どうにも女の子2人のノリが悪い。楽しくなさそうだ。聞いた話では、この友人が合コンを切望したという、つまり二人のどちらか、もしくは両方が切望したはずだ。けれども、とてもじゃないがそう見えない。知らない親戚の法事に来た女子大生みたいな佇まいだ。
僕ら男サイドがまったくイケメンじゃないから期待外れで意気消沈しちゃったのかなと思ったが、どうやらそうではないらしい。
誰かが、さっきからずっとテーブルの下で二人が女の子同士で手を繋いでいるという事実を指摘した。それに開き直った女の子が。
「そうよ、わたしはカノコが好き」
「わたしもシノブが好き」
とさらに淫靡に指を絡めあい始めた。女の子が好きで女の子同士で好きあってるのはいいけど、じゃあなんで合コンを切望したんだよ。これじゃ遠くからはるばる来た僕と竹下がピエロじゃないか。ついでに山内もピエロじゃないか。
これには竹下が露骨に怒りを顕わにした。
「なぜ、合コン、望んだ、どうして、合コン、きた」
よほど怒りが深いのか、ちょっと未開の地を守る種族の長老みたいな口ぶりになっていた。
結局、竹下がどうせお前らみたいな人間は映画のエンドロール観ないんだろうな、人の痛みとか分からないんだろうな、とよく分からない怒りを女の子にぶつけ、それに太田の彼女が反応した。友人を愚弄されて怒った形だ。
「そういうこと言う人、最低!」
とけっこう大きな声で怒った。すると、全然関係ない山内が突如として口を開いた。
教官(風間杜夫)「ああ、俺は最低の男だ」
教官(風間杜夫)「最低の教官だよ」
教官(風間杜夫)「総合最終試験で松本(堀ちえみ)を落第させちまったんだからな」
また片平なぎさの幻聴が聞こえてきたらしい。
結局、彼女をバカにされたと思った太田と山内がまた喧嘩になり、その横で山内が「スチュワーデス物語」、女の子二人はなんかキスとかしていた。僕はなんこつのから揚げ食べていた。
こうして、またもやカオスを迎えて僕らの合コンは終わったのだった。なんだったんだ。
11本目 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン(2015年) 141 min
ヒドラの残党たちはロキが持っていた杖の不思議な力を利用して人体実験を行っていた。その情報を入手したアベンジャーズの面々はヒドラの秘密研究所を急襲する。杖に仕込まれた宝石の中に人工知能らしき機能を見つけたトニーはそれを利用し人工知能を作るウルトロン計画を思いつく。しかしながらウルトロンは突如自我に目覚め、地球を救うためには人類を滅亡させなければならないと動き出す。それぞれが精神的葛藤を抱えるアベンジャーズとウルトロンの戦いにおいてアベンジャーズは劣勢に追い込まれていく。
感想
フェイズ2の集大成ともいえる作品だ。もちろん、「アベンジャーズ」を冠しているので、これまでの作品に出てきたヒーローが多数出演してくる。ただ、パッケージビジュアルからもわかるとおり、10本目の『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』だけ出てこないようだ。まだまだアベンジャーズとは関りを持たないようだ。
いつもながらアベンジャーズ全員集合のシーンはめちゃくちゃかっこいい。これだけでこのシリーズがどれだけすさまじいものなのか理解できる。徹底してワクワクするようにつくってくれるのだ。
ここにきて感じてきたことは「収束の美しさ」だ。バラバラに存在していた事象が収束していく様子は問答無用に美しい。まるでパズルがはまっていくような快感を得るはずだ。このアベンジャーズシリーズはその収束を意識して作られているように思う。
ここまでのレビューで細部まで語ってはいないが、各作品はバラバラに存在しているようで細部で作品ごとの繋がりが存在する。ちょろっと別作品の痕跡が登場したりするのだ。そうすることで、決して完全なるバラバラではない、ある程度繋がっているよと意識させ、そして一気に「アベンジャーズ」を冠したタイトルで収束させていく。収束と発散、その様式美が一連のシリーズに存在するのだ。
そしてその収束の美しさが、最終決戦において必ず存在する「全員勢ぞろい」のシーンで。ここで収束美は最大の輝きを発する。だからこそ心を奪われるのだ。
どれだけバラバラの事象を楽しめるか、それがアベンジャーズタイトルでの収束美の輝きに直結する。このシリーズにはこういった楽しみ方があるのだ。
ちなみに、序盤の方でロキの杖の力を利用した人体実験で、念力と人の心を操る特殊能力を持った超人が登場してくる。こいつが、アベンジャーズ面々の心理に入り込み、トラウマを植え付け、その影響でメンバーたちの心が離れていく。
僕はこういう心理的に離れていく展開があまり好きじゃない。観ていてハラハラするし、悲しい気持ちになってくる。観るのをやめたくなるくらいだ。たぶん僕にそういうトラウマがあるんだと思う。
けれども、このあまり好きではない展開すらも、ラストへの収束、その美しさへの過程と考えると途端に受け入れられる。
最終決戦の舞台となるソコヴィアでの映像がとにかくスケールが大きく凄まじい。単体の映画としても破格に面白いが、収束美を感じるなら、やはりシリーズを鑑賞していかなければならない。
観終わって何の打算もなく言える。ここまで24時間近くぶっ続けで観てきたけど、本当に観てきて良かった。それほどに素晴らしい作品だ。
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★★★
2日目 9:02 (累計視聴時間 23時間2分)
そろそろ24時間連続視聴を記録し、かなり精神的にすり減ってきた。おまけに、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』のラストの場面がかなり壮大な舞台で迫力ある映像だったので、圧倒され、すっかり摩耗してしまった。
MCUシリーズの本質は収束の美しさだと24時間経過してやっと気が付いたのだけど、収束のためには美しく発散させなければならない。『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』で収束したストーリーが、ここからさらに発散する。この発散をしっかり見届けてこそ次の収束が輝く。
そして、あの悪夢の合コンではなにも収束していないし、美しくもないけれども、僕らを取り巻く物語もまた発散の兆しを見せていた。
あの悪夢の合コンからしばらく経ったころ、実家から電話があった。
「なんか昔の同級生っていう女の子から連絡先教えて欲しいって電話があったけど、よくわからんから携帯電話の番号教えておいた」
といった趣旨の内容だった。明らかに何らかの勧誘だ! もしかしたらマンション投資(投資の話!)とかかもしれない。そんなの誘われてもこっちは大学生だぞ、できるか、と身構えていた。
そして、しばらく待つとやはり電話がかかってきた。それは勧誘でもなんでもなくて、意外な相手だった。
「もしもし、覚えているかな? ミサキだけど、忘れちゃったかな」
そう、あのミサキちゃんだった。
映画鑑賞で彼女を作った太田に触発されて映画に誘ったら、「家庭の事情で映画にいけない」と人生史上最大スケールに意味が分からない文句で断ってきた彼女だ。そんな彼女がなぜか僕に電話をかけてきた。
「高校ぶりくらいかな? いま大学生だよね?」
戸惑う僕とは対照的に、ミサキちゃんはマシンガントークだ。
「さっき実家に電話したときに聞いたんだけど今度帰省してくるんだよね? わたしもいまは実家に戻ってるんだ」
彼女は高校を出て東京かどこかで働いていたらしいが、すぐに戻ってきたみたいな話をしていた。
「よかったら、帰省してきた時に映画でもいかない?」
もう家庭の事情は終わったんかいと思いつつ、新たなストーリーが発散していくのを感じた。いったいどうなってしまうのだろうか。
12本目 アントマン(2015年) 117 min
窃盗罪で服役していたスコット・ラングは無事に刑期を終えて出所したが犯罪歴のある男に世間は冷たく、上手くいかない。昔の窃盗仲間に出会ってまた盗みに手を出し、富豪の家へと侵入した。金庫を開けるがそこにあったのはヘルメットとスーツだけだった。落胆するスコットだったが、このスーツは自由自在に体の大きさを変えることができるスーツだった。そのスーツを利用してミクロの世界で大活躍するアントマンだが……。
感想
ここにきて新ヒーローの登場だ。
今度のヒーローは体を自在に小さくできるアントマンだ。これまでのシリーズでは宇宙に飛び出したり、めちゃくちゃデカいスケールで戦ったりと、マクロに展開することが多かったが、ここで小さいほうの世界に行くのはかなりセンスがいい。
さらに、ただ小さくなるだけに留まらない。普通は小さくなって敵から見えない場所で色々と工作する方向に行きがちだが、このアントマンは格闘に利用する。しかも、格闘中に小さくなったり大きくなったり頻繁に変化し、それを利用して斬新な戦いかたをする。
これまでのシリーズでスーパーパワーの超人たちが織りなすド迫力の格闘は数多く登場してきたけど、さすがに24時間も見続けてるとその格闘にも飽きてくる。そこに斬新な戦い方をするアントマンの登場でかなり目を惹いた。
アントマンは、小さくなるだけでなくアリを自在に操るというスキルも持っているのだけど、個人的にはこのアリのシーンがかなり苦手だ。全く持って私事で申し訳ないのだけど、僕はむちゃくちゃアリが嫌いだ。アリの群れとか見てるだけで発狂しそうになる。
だから、アントマンは格闘が良い、ミクロの世界の描写が斬新、と良いところばかりなのだけど、アリのシーンで大きなマイナスになってしまった。あのアリがドアップで出てくんだぜ。正気じゃない。
恐怖のアリはいったん置いておいて、さらに目を見張る部分に目を向けると、アントマンの主人公スコットには明確に守るべきものがあるということだろうか。別れた妻との間に生まれた娘を溺愛している。
この時点で判明している中でアベンジャーズに関与するメンバーにおいてスコットのように娘などの個人的に守りたい対象を持ったヒーローはいない。他のヒーローたちは基本的に天涯孤独だ(後の作品で家庭を持っていることが判明するメンバーはいる)そういったヒーローたちと、守るべき個人的な対象を持つ彼とでどんな違いが出てくるのか、注目したいところだ。
ただ、アリはいただけない。
おススメ度:★ (アリのため)
重要度:★★
2日目 10:59 (累計視聴時間 24時間59分)
さて『アントマン』まででフェイズ2が終わり、ここからフェイズ3となる。いよいよ集大成の『アベンジャーズ/エンドゲーム』が近づいてきた。視聴時間も24時間を超えた。24時間という時間のくくりは思った以上に長い。さらにここから同じ24時間くらい映画鑑賞が続くと思うと発狂しそうだ。
ただ、24時間経てばこの発狂ものの苦行も終わりだ。そういう意味では時間が解決してくれる。そう、「時間が解決してくれる」のだ。僕はその概念がとても好きだ。
前回、突如として電話をかけてきた彼女、映画の誘いを家庭の事情で断ったミサキちゃんだ。なぜか家庭の事情が終わったらしく、今度帰省したら一緒に映画でも行こうよ、と誘ってきたのだ。どう考えても怪しい感じだ。
ただ、“帰省したタイミング”でとなると随分と先のことになってしまう。このモヤモヤしたよく分からない感情を抱えたままそこまで耐えられる気がしない。すぐに彼女に連絡し、その週末に帰省することになった。
「それでね、帰ってきたわけなの。東京って合わなかったな」
ミサキはまるでドラマのワンシーンみたいなセリフを口にし、ストローを螺旋に回してアイスコーヒーをかきまぜた。
高校生だった頃、あれだけの栄華を誇っていた地元の商業施設は閑散としていた。もう先が長くない感じでひっそりとしており、そこにあった映画館もよく分からない映画をやってるだけで興味を惹くものではなかった。
仕方がないので、映画は諦め、ちょっとした喫茶店に入ることにしたのだ。
「なかなか映画に行けないね」
彼女はいたずらに笑った。その言葉に、過去のことを思い出して少し気恥かしい気持ちになった。
「あの時はビックリしちゃって、いろいろ考えて断っちゃった。ごめんね」
そう言って彼女は過去を振り返った。長年の謎だった「家庭の事情で」の理由が分かった瞬間だ。ビックリして気が動転したのなら、そんな意味不明な断り方をしても仕方がない。長い時間を経て謎が解けた瞬間だ。
僕は“時間が解決する”という概念がとても好きだ。
例えば、死ぬほど憎しみあっていた間柄の二人が、何年も経った後に「そこまで憎くもないな」となることがある。別に仲直りしたり親友になったりする必要はないけど、「そこまで憎くないな」となる。そこにきっかけだとかもない。ただ時間が経過しただけなのだ。
その時、憎しみあっていた感情は、リアルタイムにおいては懸命で、重大で、深刻なものだったのだろう。軽い気持ちじゃなく、本当に憎かったのだと思う。けれども、時間が経つにつれてその憎しみが薄れていくことがある。その心の動きは美しい。それはきっと赦しではないけど許しだ。
きっと相手への憎悪が薄れていくだけの事象がその人の中にあったのだ。決して感情が色褪せていくわけではない。あくまでどこかに収納されるのだ。そこには収まるべきところに収まる収束の美しさがある。
だから、当時は「なんだよ、家庭の事情で」と憤ったりもした。死ぬほど落ち込んだりもした。けしかけた太田を恨んだりもした。きっとその感情は本物で、真剣なものだったのだろう。
けれどもいつまでもそんなことに囚われているのは愚かなことなのだ。稀に、ずっと変わることなく恨みの念を抱いている人がいるが、それはそれで尊重したい心の強さだが、かわいそうだなあと思う。
「映画なんていつでもいけるよ」
時間が解決してくれた。あの時の僕はおらず。あの時の彼女はもういない。
僕はウインナコーヒーを飲み干しながら笑顔でそう言った。
そしてミサキも同じように笑顔を見せ、一呼吸おいて切り出した。
「それでね、地元に帰ってきたわけじゃん、ちょっと知り合いとか彼氏とか探したいから、合コンとかしたいなって。セッティングできないかな?」
その瞬間、走馬灯のように、女同士で絡み合う女性二人、片平なぎさ、喧嘩する竹下と太田、エンドロールを観る/観ない問題、絶叫する太田の彼女、といった光景がフラッシュバックしてきた。
「いや、ほら、合コンはね、まだ時間が解決してくれてないから」
訳の分からない文句で断っている僕がいた。
13本目 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(2016年) 148 min
ウルトロンとの戦いによって崩壊したソコヴィア。その戦いの疲れを癒す間もなくヒドラの残党が巻き起こすテロを阻止するためにラゴスへと赴いたアベンジャーズだが、その戦いにおいて一般人に被害が出てしまう。アベンジャーズには世界から国際法違反の自警団ではないかと批判の声が高まり、国際連合の管理下に置くことを規定とする「ソコヴィア協定」への署名を迫られる。署名への賛否によってアベンジャーズ内で意見が割れるが、協定への調印式の会場で爆破テロが起こり、その犯人がスティーブの親友であるバッキー・バーンズであるとして国際指名手配される。
感想
ここまでシリーズを観てきて、そういえばめちゃくちゃガラスが割れているなあと気が付いた。
このMCUシリーズは、格闘、敵からの攻撃、脱出、突入、破壊力の誇示、あらゆるシーンでとにかくガラスが割れる。ガラスが登場してきたらかなりの高確率で割れると思っていい。
そんな事実に気が付きつつこの作品の鑑賞を始めたら、序盤からけっこうテンポがいい感じでパリンパリンと小気味好くガラスが割られていったのでちょっと笑ってしまった。
さて、この映画はあの壮大な総力戦『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の後のお話だ。「シビル・ウォー」とタイトルが大きく扱われているが、キャプテン・アメリカのシリーズのようだ。このシリーズはMCUシリーズで大きな変換点になることが多いと前作で学習したので、気合を入れて鑑賞しなくてはならない。
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』における最終決戦によって崩壊したソコヴィアが世界中から問題視される。さらにはヒドラの残党狩りと称してアベンジャーズたちが国境を越えて様々な国で任務を遂行する。それが問題になる。
それは至極当たり前のことで、アベンジャーズはアメリカから見れば正義を守るスーパーヒーローの集団だ。けれども、他の国から見たら勝手に国境を越えてきて自国内で暴れまわる無法者集団だ。スーパーパワーを持っているだけに、その被害も大きい。たまったもんじゃない。
それどころか、もしかしたらあのスーパーパワー軍団が突如として自国を侵略してくるかもしれない、なんて心配もでてくるはずだ。それは当たり前のことだ。
このへんはこのシリーズが一貫して描こうとしているフィクションの中のリアリティだと思う。ヒーローが活躍してはい終わり、ではない。
そうなると、アベンジャーズが自由気ままに活動している現状は良くない、となる。国連だかどっかの管理下に入り、その指揮を受けて活動すべきとの機運が高まってくる。
ここで、シリーズ序盤の作品である『アイアンマン2』での、トニーの「世界平和の民営化」という言葉が活きてくる。おそらくあの『アイアンマン2』の時のトニーであれば、この組織の指揮下に入るという命令を断ると思う。けれどもここでトニーは意外にもそれを受け入れる。
それはトニーの成長なのか、それとも「時間が解決」してくれたのか、ペッパーと恋仲になり守るべきものができたのか、それとも正義の限界を感じたのか、何にせよ、ここでのトニーの考え方の変化は示唆に富んでいて、シリーズを通して描こうとしてきた多くのエッセンスが詰まっているように思う。
ただ、キャプテン・アメリカはその考えに同意しない。そして、キャプテン・アメリカにとって見過ごすことができない重大な事件が起こり、この作品のイメージ写真からもわかる通り、アベンジャーズが二分されてしまう。
アイアンマン側とキャプテン・アメリカ側とに分かれ、アイアンマンは体制側、キャプテン・アメリカが反乱側になってしまい、戦うことになってしまう。本来は逆の立場になってもおかしくないが、多くの事象が絡み合うとこういうことになるのだ。
繰り返しになるが、僕はこういう展開があまり好きではない。なんだか心が苦しくなってくるのだ。仲間が対立するとかあまり好きな展開ではない。かなり疲弊しているこの状況でこの展開はかなりきつい。心が壊れてしまいそうだ。本気でバトルするアイアンマンとキャプテン・アメリカを観て、いつかきっと「時間が解決して欲しい」と願うばかりだった。
この作品は「フェイズ3」最初の作品だが、シリーズ初となる大きな特徴がある。それが“単体で成立していない”という点だ。
これまではMCUシリーズとして話の繋がりを保ちつつ、それぞれの作品もきっちりと単体で成立していた。けれどもこの『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』は明確にラスボスを倒すわけでもないし、明確に解決するわけでもない。これ一本で観たら映画として成立してないと思う人もいるかもしれない。ただ、それが不快というわけではない。
おそらくではあるが、フェイズ3は最後の集大成である『アベンジャーズ/エンドゲーム』に向けて繋がりを重視していくという意思表示ではないだろうか。いうなれば、各作品単体で発散させていたものを、もっと繋がりを持たせて大きく発散させる。それは大きな収束のためだ。そういったフェイズ3の決意表明めいたものをこの作品から感じた。
そう、エンドゲームがもうすぐそこに近づいてきたのだ。
おススメ度:★★★
重要度:★★★★★
2日目 13:27 (累計視聴時間 27時間27分)
そろそろ、あらゆる意味で限界が近い。
タブレットを駆使して、座って、時には寝転んで映画を鑑賞しているだけだ。買い込んでいたご飯もおやつも食べているし、コーラも飲み放題だ。それなのでもっと楽だと思ったが、とんでもない。これなら意味不明に100キロくらい走ることを強いられる方がマシと思えるほどだ。
目の前で流れる映像は、観ているのではなく、単に視界に入っているだけというレベルになってきた。少しでも気を抜くと何が起こっているのかわからなくなる。
「もう限界だ」
そう弱音を吐く心理はどこにあるだろうか。
全てを投げ出し、負けを認め、敗走する、それを受け入れたうえで口にするセリフだ。そう言って投げ出したくなる気持ちをグッと堪えた。
この「もう限界」というセリフを口にした男を僕は知っている。そう、竹下だ。大学の友人で、映画のエンドロールで席を立つ人を憎み、彼女欲しさに謎のバスに乗ってしまうほどの男だ。そんな豪傑がポツリと弱音を吐いたことがあった。
「彼女が欲しい。もう限界だ」
それは思ってもいないほど弱々しいトーンだった。そんな竹下が手を出したのは当時、隆盛を誇っていた出会い系サイトだった。
「ピュアな出会い掲示板」
みたいな名称だったように思う。出会いを求める男女が集う携帯サイトだ。竹下はそこに意気揚々と書き込んだ。
すると、その書き込みからメッセージをくれたキノコというハンドルネームの女の子と仲良くなったらしかった。嬉しそうに画面を見せてくれた。
映画好きで年齢も同じくらいで話が弾んだようだ。もちろん、エンドロールで席を立たないことも確認済みだ。
「ちょっと映画の趣味が俺とは違うんだけど、まあ向こうに合わせるよ」
どうもキノコちゃんは恋愛系とかコメディ系が好きなようだった。そしてとんとん拍子で話が進み、「メリーに首ったけ」という映画を二人で観に行くことにしたらしい。
「不安だからついてきてくれよ。でもデートの邪魔だから遠くから見ていてくれよ。テンション下がるから視界に入らないように」
どういう育ち方をしたらそんなワガママな要求ができるんだろうかと思うが、竹下の晴れ舞台だ、快く引き受けることにした。
待ち合わせは市内の中心部から少し外れた場所にある立体駐車場だった。なんでこんな場所だったのか分からない。薄暗いこの場所で待ち合わせなんて、怪しい取引をしているかのようだ。
僕は離れた場所に立ち、駐車している車の物陰で待った。たしか白のカローラだったはずだ。
竹下は、分かりやすくエレベータの前で立っていた。キノコちゃん、いったいどんな子なのか、竹下の想いは叶うのか。二人してドキドキして待った。
2時間待ったけど誰も来なかった。
すっぽかされた、そう気づくのに2時間かかったのだ。そう信じたくない何かがあったのは確かだ。
ただ、すっぽかされただけならまだよかった。それからしばらくして、キノコちゃんからメッセージが着弾した。
「騙された気分はどう? こっちは男だよ。みんなで隣のビルから見て大笑いしていたよ。今から飲みに行きます!」
だからこんな立体駐車場だったんだ。確かに見やすい位置にビルがある。なるほどなあ、と唸ったが、竹下は怒りに打ち震えていた。いいや、泣いていた。
「なんでこんなことするんだよ……。こんなことして何が面白いんだよ……二度とキノコ食べねえよ」
“キノコを食べない”はともかく、その絞り出すように出された竹下の言葉が僕の心の一番柔らかい場所をキュッと締め付けた。
「俺たちの何がダメなんだよ。なんで俺たちに彼女ができねえんだよ」
声に含まれる涙の成分が一層高まったように感じた。いつの間にか「俺たち」と僕まで含まれている事実に、心の中の別の部分がキュッと締め付けられるのを感じた。
「もう限界だよ」
きっと竹下は誰よりも一生懸命なんだと思う。そう思った。
一生懸命な彼だからこそ、映画を観た時、その誰かの一生懸命に思いを馳せる。だからエンドロールに敬意を払っているんじゃないだろうか。そして、誰よりも一生懸命に彼女を欲し、謎バスにも乗った、遠い街の合コンにも行った。そしてキノコに騙された。
その一所懸命を守ってあげる必要がある。そう思った。誰よりも一生懸命な彼が不幸であっていいはずがない。
「大丈夫だ。お前の気持ちは俺が守る」
カローラの影から竹下に歩み寄り肩に手をかける。決意した僕は竹下に提案した。
「地元の知り合いのミサキちゃんって子がいるんだけど、合コンやりたがってるんだ。どうかな?」
車両の接近を伝える警告音だけが、踊るようにしてアスファルトの上に響いていた。
14本目 ドクター・ストレンジ(2016年) 115 min
ニューヨークの病院で働く天才外科医、スティーヴン・ストレンジはある日、自動車事故によって両腕を自由に動かせなくなってしまう。一瞬にしてキャリアと外科医としての将来を失ったストレンジはあらゆる治療を試し、カトマンズの修行場カマー・タージに辿り着く。そこで神秘の力を操る指導者に出会い、未知なる世界を目の当たりにしたストレンジは過酷な修行の末に魔術師として生まれ変わる。そんな彼の前に、闇の魔術を操る魔術師が現れる。
感想
ここにきて新ヒーローは本当にまずい。
新しいキャラクターが出てくると、その背後関係や性格、置かれた状況、他者との関係など、理解しなくてはならない事象があまりに多いので、かなり注意深く鑑賞しなくてはならない。これが良く知ってるキャラクターの続編とかなら、そこまで注意していなくともなんとなくわかるが、新キャラは本当にまずい。
いまのこの限界を迎えた状況で理解できるのか不安だが、一生懸命やるしかない。それが敬意というものだ。
端的に言ってしまうと、この『ドクター・ストレンジ』は精神的というかスピリチュアルな方向に行ってみた作品だとわかる。
これまでのMCUシリーズは、1作目の『アイアンマン』から「テクノロジー」がかなり重要なウェイトを占めていた。兵器開発にスーツ開発、人体改造、といった具合だ。ある種、科学ばかりがクローズアップされてきた。
けれども、じつはそれは後進的で、真に進んでいる宇宙では、科学と同時に精神面を重要視した魔術が両輪で発達しているという描写がたしかどこかにあった。つまり、科学のみを拠り所にしている地球はまだまだ遅れている、という状況なのだ。
事故によって両手の感覚を失った医師が、あらゆる治療、つまり科学の力に頼るわけだが、全く成果が得られない。それどころか財産を失って無一文になってしまう。そんなかで、スピリチュアルな世界に救いを見出し、没頭していく。そこには価値観の変遷だけでなく、ある種の「受け入れ」が必要だったように思う。
信じていたものを捨てることは恐ろしいものだ。
天才医師として、腕を振るっていたストレンジが、医学にも限界がありこの手を治せないと魔術に向かっていくのは価値観の変遷だけでは片づけられない心の変化がある。これまで拠り所にしていたものが万能ではなかったという受け入れこそが、ストレンジを苦しみから解放していくのである。
結局、魔術を使うようになるが、ストレンジの腕が治るわけではない。けれども、魔術を取得した後はそこまで腕を治すことに執着していないので、やはり受け入れたのだろうと思う。きっとそうすることが何より重要だと教えてくれているのだ。
MCUシリーズにおいて、ここまで価値観が大きく変遷する作品は例がない。それだけにこの作品が異質な存在となっている気がする。
おススメ度:★★★★
重要度:★★★
2日目 15:22 (累計視聴時間 29時間22分)
あああああああああああああ、もうダメだ。限界だ! だめだあああああ
15本目 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス(2017年) 136 min
クイル、ロケット、グルート、ガモーラ、ドラックスはロナンの計画を阻止したガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとして名が知れ渡った。様々な仕事をこなすうちに、絶体絶命のピンチに陥るが、そこにクイルの父と名乗るエゴが現れ、ピンチを脱する。クイルは地球出身でありながら、宇宙人とのハーフであったことを知る。そして、ガーディアンズ一行はエゴの星へと招待されるが、そこでエゴの本当の狙いを知ることになる。
感想
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★
2日目 17:38 (累計視聴時間 31時間38分)
ついつい取り乱してしまったがもう大丈夫だ。大丈夫。ちゃんとする。
さて、竹下の想いを守るため、ミサキが提案する合コンに乗ることを決意したが、あいにくメンバーを集めるツテがない。ミサキ自身にも女友達を呼んでよと提案したが、自分はすごく性格が悪いので女友達がいない、という正直すぎるカミングアウトをいただいたので、ダメだ。そうなると太田と太田の彼女を頼るしかないわけだ。
太田に電話をしてみると、その対応がどこか浮かない感じがした。
話しているのに心ここにあらずといった感じだ。よくよく話を聞いてみると、どうやら件の彼女と別れそうな感じらしい。
「浮気している感じがするんだよ」
確か太田とその彼女は半同棲みたいな感じになっているはずだった。それで浮気をするとはなかなか豪気な女だと思ったが、深く事情を聞いてみるとどうやらそうではないらしい。
太田の彼女は、弁当屋さんでアルバイトをしていたのだけど、どうもその弁当屋の店長と怪しい感じらしい。ただ、その怪しいってやつがあくまでも太田の視点から見た怪しいであった。
それこそ、アルバイト業務以外の雑談をメールでしているだとか、アルバイト後の飲み会が多い。その時に帰りが遅い、といったものだった。ちょっと疑心暗鬼になりすぎじゃないだろうかと思うレベルだ。
ただ、一旦そうなってしまうと、全てが怪しく、まるで周り中がすべて敵みたいな思想に囚われてしまう。その気持ちはよく分かる。
「考えすぎだよ」
そういった僕の言葉に何かを感じ取ったのか、太田は電話口で泣き出した。それはなんだかこちらまで悲しくなってくる嗚咽だった。
それぞれが、それぞれの理由を持って傷ついていた。悩んでいた。
明言はしなかったがミサキは何かの悲しみを抱えて東京から帰ってきた。竹下は彼女が欲しい、ぬくもりが欲しいと泣いた。太田も泣いていた。そんな彼らを前にしてどうしていいのか分からず、僕もまた苦しんだ。僕らは溺れているんだか泳げているんだか分からない境界の中で不器用に前に進んでいた。いや、進めていなかったのかもしれない。ただ、一生懸命だった。
「とにかくみんなで集まろうよ」
僕らはずっと何かを模索していた。それが何なのかは今でも分からない。それでも当時は無性に苦しかったのだ。
16本目 スパイダーマン:ホームカミング(2017年) 133 min
ピーター・パーカーは、シビル・ウォーでアベンジャーズが割れた際にアイアンマンであるトニーにスカウトされる。その後もトニーに言われたとおり「親愛なる隣人」として、街を守る活動に勤しんでいた。アベンジャーズ入りし、華やかな活動を望むピーターだったが、シビル・ウォー以来、声がかからない。そこに強力な武器を持つ悪人が現れて……。
感想
これまでにスパイダーマンシリーズはいくつか鑑賞したことがある。なんとスパイダーマンの映画化はこれで6作目というのだから驚きだ。ただし、これまでのスパイダーマンと、このMCUシリーズのスパイダーマンは完全に別物と考えた方がいい。
これまでのスパイダーマン映画は比較的シリアスで重い展開が多かった。そこに強大で深刻な背景を持つ強敵が登場してたような気がする。シリーズを重ねるごとにスケールが大きくなっていた。
今回、MCUシリーズとしてマーベルに戻ってきて、その深刻さが取り払われ、ポップな感じになった気がする。スケールもそこまで大きくなく、あくまでも「親愛なる隣人スパイダーマン」という立ち位置を貫いている。そう言った意味で、原点に返るという「ホームカミング」がサブタイトルになっているのではないか。
この作品の以前に、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』においてスパイダーマンが登場している。内乱によって二分したアベンジャーズメンバーを補充するため、アイアンマンであるトニーにスカウトされた形だ。
ついにアベンジャーズ入りしたことにより主人公のピーター・パーカーはウキウキ、ド派手な活躍を望むが、スカウトしてきたトニーはそれを認めない。親愛なる隣人として活躍しろとしか言わない。
そうして小さい事件ばかりを解決していくスパイダーマンはまさに地に足をつけたヒーローの基本に立ち返っているわけだ。この作品にはそういったヒーローの成長を描いていく狙いがあるのではないだろうか。
この地に足をつけたヒーローはとにかく失敗を繰り返す。失敗をし、傷つき、また失敗する。僕らは誰もがそうした空回りの青春時代を経験している。僕らはずっと傷ついていた。だからこそこちらの少し幼いスパイダーマンに感情移入するのだろう。
そう、この新しいスパイダーマンは僕らの青春そのものなのだ。
おススメ度:★★★★
重要度:★★★
2日目 19:51 (累計視聴時間 33時間51分)
この流れで行くと、山内も何らかの悩みを抱え、傷ついていると思われた。心配になったので電話をしてみる。
けれども山内は電話に出なかった。
1時間くらい時間を置いてかけなおしてみたが、それでも出なかった。だんだん心配になってきた。電話に出ないってことがあまりなかった男なのでとにかく心配になった。
何度目だろうか、しつこく電話をかけた末にやっと電話がつながった。
僕の心配とは裏腹に山内は拍子抜けするほど能天気な声で出てきた。なんでも「スチュワーデス物語」の新しいシーンの練習をしていたらしい。なんなんだよ、シーンの練習って。
「いいから聞いてくれよ」
そう言ってこちらの返事も待たずに「スチュワーデス物語」の再現が始まった。
教官(風間杜夫)「たくましい、かわいい亀になって世界中の空を飛びまくれ!」
松本(堀ちえみ)「はい! 松本千秋(堀ちえみ)ジャンボで世界の空を飛びまくります。精一杯……飛んで、飛んで、飛んで、そして……」(モジモジ)
教官(風間杜夫)「どうした?」
松本(堀ちえみ)「は、はい!」
松本(堀ちえみ)「飛んで、飛んで、飛んで」(バサッバサッと羽ばたくジェスチャー)
松本(堀ちえみ)「思い切って教官の胸の中へ飛び込んでもいいでしょうか?」
教官(風間杜夫)「俺の胸の中に?」
松本(堀ちえみ)「はいっ!」(シャキッと姿勢を正しながら)
教官(風間杜夫)「……」
教官(風間杜夫)「……」
教官(風間杜夫)「……」
教官(風間杜夫)「……いいよ」
よくねえわ。なんでこんなもの延々と聞かされてるんだ。これあれだろ、最終回のラストシーンだろ。
「山内は悩みとかないのかよ」
話を変えようとそう質問したのが間違いだった。
「最近は婚約者(片平なぎさ)だけじゃなく、松本(堀ちえみ)の幻聴が聴こえることがある。それが悩み」
聞いた僕がバカだった。幻聴が聴こえ、上記のやり取りの教官の部分だけ突然喋り出すということだ。
「もういいや、とにかくまた合コンやるから参加してくれな」
やっと本題を切り出すと、山内はちょっと渋った感じだった。
「えー、またやんのかよー」
といいつつ、しばらく考えこむような音が聞こえてきた。
「……」
「……」
「……」
「……いいよ」
それは山内の返答なのか。幻聴の末の教官(風間杜夫)なのかよく分からなかった。
17本目 マイティ・ソー バトルロイヤル(2017年) 130 min
オーディンが地球の老人ホームに入れられていたことを知ったソーとロキは地球に向かうが、そこでドクター・ストレンジに出会う。ストレンジの協力によってオーディンとの再会を果たすが、そこで姉ヘラの存在を告げられる。アスガルドの危機を招くほどに邪悪だとして異次元に幽閉されていたヘラだが、オーディンの死によって復活してしまう。ソーとロキはヘラの攻撃によって惑星サカールへと投げ出されるが、そこで驚くべき人物に出会う。そしてヘラはアスガルドに帰還し、容赦ない殺戮をはじめた。
感想
「マイティ・ソー」シリーズの3作目。一応、三部作のラストになるらしい。
そこそこにシリアスな雰囲気があり深刻な雰囲気であった前2作のマイティ・ソーと異なり、意図的なのか自然とそうなったのか、コメディのテイストが付加されたような気がした。それに付随して主人公ソーの動きも若干コメディテイストになっている気がする。
これまでは、強く強大なソーの活躍を描いており、笑いの要素が少なかったが、今作はドジもするし失敗もするしで、愛されキャラみたいになっている。この路線変更とまで言える変化にどういう意図があったのかは分からないが、キャプテン・アメリカシリーズが作品を重ねるごとにシリアスさが濃厚になっていたのに対抗して、バランスをとるようにしたのかもしれない。
ただし、コメディタッチになったと同時にストーリーとしての骨組みは若干だが弱々しくなったように思う。
この作品には、ソーとロキの姉にあたるヘラという新しいキャラクターがでてくる。これがめちゃくちゃに強い。だけど、MCUシリーズによく登場する「魅力的な悪」ではない。たぶん描き切れていないんだと思う。そこがストーリーの屋台骨を弱々しいものにしている感じだ。
見どころを挙げるとすれば以下のシーンだ。
ストーリー序盤で、ソーとロキが地球からアスガルドに向けて飛び立つシーンがある。だが、その途中で追いかけてきたヘラの攻撃によって二人は弾き飛ばされてしまう。二人そのままよくわからない空間を飛んで、飛んで、飛んで(バサッバサッと羽ばたくジェスチャー)ゴミだめみたいなハチャメチャな星に降り立ってしまう。そこから一気にギア変更したかのようにコメディ路線になる。そこが見どころだ。あと、ソーがけっこう酷い目にあうんだけど、それによって今まで見せなかったソーの魅力みたいなものもでてくる。
なんにせよ、この作品は路線変更により、ソーの魅力を引き出そうとした、そう考えていいのかもしれない。「アベンジャーズ」シリーズの中心人物であるアイアンマンとキャプテン・アメリカは分裂している。そこで同じく中心人物であるソーの魅力を掘り下げることで次の集大成に繋げたい狙いがあるのではないか。そしてこの作品はそれに成功しているといえるだろう。
おススメ度:★★★
重要度:★★★★
2日目 22:01 (累計視聴時間36時間01分)
あの日の悪夢の合コンメンバーが再度終結することになった。そこに性格の悪いミサキを加えることで実現の運びとなった。
ただ、注意したいのは完全にメンバー不足という点だ。太田が彼女と不穏になりつつあったため、前回召喚された愛し合っている二人の女性および太田の彼女は不参加となる。
もう一度メンバーを確認すると、僕、彼女が欲しい竹下、怒りの獣神太田、スチュワーデス物語山内、そして性格の悪いミサキである。男女比にして実に4:1。これはもう合コンではない。
「最低でもあと3人、女性が必要だな」
それもかなりノリの良い手練れ、そんな女性が必要だ。どこにそんな女性がいるというのか。
大学で声をかけてみればいいと思うかもしれないが、僕の学部は男ばかりがひしめき合う男子校みたいな状態だったのでそういうわけにもいかない。
結局、考えに考え抜いた僕がとった作戦は、出会い系サイトで募る、だった。
当時、隆盛を誇っていた携帯電話の出会い系サイトに募集の書き込みを行った。確か「ピュアな出会い掲示板」とかいう場所だったように思う。
「オッス! こちら〇〇大学! 合コン相手を募集いたします。当方は、映画好き、不思議好き、ドラマ好きなどバラエティに富んだメンツです。是非ともよろしくお願いします」
そんな書き込みをしたと思う。なんで「オッス!」から書き始めたのかは今となっては分からない。
今回の合コンは僕らの大学があるこの町で行われることになっていた。そこに太田や山内、ミサキを召喚することになる。だから出会い系サイトで現地調達しようと思ったのだ。
ただし、かなりの警戒が必要だ。なにせ、竹下が直面したコードネーム:キノコがもたらした悪夢は記憶に新しいからだ。当時、あのキノコのような騙し的なイタズラはかなり多かった。
そこで考えたのだけど、例えば「モデルやってる3人組です。合コンしたいな~。お金とか心配しなくてもいいので会いたいです。いい感じになったら二人で抜けだそっ!」みたいな光り輝くルビーみたいなメッセージを送ってくる女、これはまあ1,000%フェイクだ。普通に考えたらモデル3人組がこんな魅惑のメッセージを送ってくるわけがない。冷静に考えればわかりそうなことだが、男たちは分からない。出会い系サイトにアクセスすると途端にバカになる。
今になって考えるとコードネーム:キノコも怪しさムンムンだった。「一緒にメリーに首ったけ観に行こう」の時点でおかしいと気づかなければならなかった。
そう考えると、この我々の「合コン相手募集」に対しておいしいことを匂わせるメッセージを送ってくるのは全て何らかのフェイクと考えるべきだ。過程はどうあれ、最終的に僕らを騙そうと企んでいる、そう見るべきだ。
「こんにちは、市内の〇〇女子大です。友達みんなかわいいよ~、よかったら合コンしましょ」
これはフェイクである。友達みんなかわいいなんてあり得るわけがない。
「少し年上ですけどいいかしら? 市内の会社で秘書をやってます。若い大学生と恋してみたいなって思ってメールしました。お金のことは心配しないで。こっちはみんな稼いでいるので」
これもフェイクである。こんな設定のお姉さんは現実には存在しない。存在したとしてもこんなとこにいないし、僕らに興味を持たない。
「変わったプレイ、興味ある?」
興味あるけど、これもフェイクだ。冷静に考えろ。素性も分からない人にいきなりこんなこと言ってくるやつ、どうかしてるだろ。
「このあいだ私の家が全焼しました。よかったら合コンしたいな~」
これだ!
なんかこれはフェイクでもなんでもなく真実な気がする。
その根拠を説明する。特に真実性を感じたのは、前半の「家が全焼」の部分だ。これがフェイクでは書けないだろうという点だ。いや、言い換えると、フェイクで書く意味がない、ということだ。
〇〇女子大、全員かわいい、秘書、変わったプレイ、このあたりは男を釣るためのフェイクであり、実際に効果があるのだろう。しかしながら、「家が全焼」、フェイクだとしたら何を狙ったものなのかさっぱりわからない。書く意味がないのだ。書く意味がないことを書いている、逆説的に言うと、真実を書いているということではないだろうか。
全焼と合コンが全く繋がっていない点も興味深い。そこでどんな理論の飛躍があったのかは分からない。フェイクは美味しいストーリーを整合性山盛り状態で仕立て上げてくる。つまり彼女の整合性のなさは、彼女の存在が真実であることの証左ではないだろうか。
早速、彼女に返信を送った。すぐに返事があった。
彼女の名前は「ステファニー」。どういうテンションになったらこういうハンドルネームを名乗れるのだろうか。
メッセージのやり取りの中で「家が全焼したって本当?」という謎の食いつきを見せる僕に対して「全焼~」と謎の軽やかさで返してくるステファニー。ついに友人二人を伴って合コンに参加してくれることになった。
「ウチの友達、全焼してないけど大丈夫?」
あまりに僕が「全焼」に食いつくものだから、家が全焼した人を合コン相手として探していると勘違いされたらしい。おかしいだろ。女の子の集団が3人いてその全てが全焼経験者なんてことないだろ。
合コン当日、やや遠い街から太田が、山内がやってきた。地元からバスに乗ってミサキもやってくる。そして、ステファニーも友達2人を伴って待ち合わせ場所にやってきた。
3人ともはちゃめちゃにギャルだった。めっちゃたくさんたまごっち持っていた。
いよいよ、合コンが始まる。
18本目 ブラックパンサー(2018年) 134 min
遥か昔、ヴィブラニウムと呼ばれる万能金属を含んだ隕石がアフリカのワカンダ国へと落ちた。それから何世紀もたち、ワカンダはヴィブラニウムを使い高度な科学技術を持つ超文明国となったが、対外的にはその事実を隠していた。ヴィブラニウムの影響を受けたハート型のハーブを摂取すると、超人的な力を持つ「ブラックパンサー」となることができ、その権利を国王が持っていた。「ソコヴィア協定」の調印式でのテロで国王を失ったワカンダ国だったが、儀式を経て、国王の息子であるティ・チャラが国王となった。新たな国王はワカンダ人と因縁のあるクロウという男を捕まえようとするが……。
感想
この作品の主人公であるブラックパンサーは、あの『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』に登場している。アベンジャーズが分裂して戦う中で、テロによって国王と父親を失い、国王の座とブラックパンサーという地位を受け継いだ男として登場する。超人的身のこなしと鋭い爪で戦う戦士だ。
この作品の興味深い点は3つある。1つは「ワカンダ」という架空の国が登場する点だ。
このワカンダの設定がとても面白い。
繊維に入れたりもできるし、医療にも使えるし、キャプテン・アメリカの盾にも使われているという万能な金属、ヴィブラニウムが隕石となってワカンダに落ちてきたため、その希少な金属が無限に取れる国となった。
その有益な金属を利用してワカンダは超絶な文明国家を築いている。けれども、国民の安全とヴィブラニウムの保全を考え、国外に対して徹底的にその超絶文明を隠している。だからワカンダは世界的には取るに足らない農業国だと思われているのだ。この設定が面白い。
そして2つめに、そんな超絶文明国ですさまじい技術を持って発展しているのに、儀式的なものを捨てずに重要視しているという点だ。テロによって命を落とした国王に代わって主人公であるティ・チャラが王を継ぐことになるが、それには儀式を経なければならない。
大量の滝が注ぎ込む神聖な泉みたいな場所で儀式が行われる。国王となるものが他の種族の長と、その長が連れてきた種族で一番有能そうな若者の前で挑戦を受けなければならない。ほとんどの部族が挑戦を辞退してしまうが、まれに挑戦するものが現れた場合、格闘し、勝った方が国王となる。
おそらく古くから伝わっているであろうその儀式を超絶文明を持った国家が重要視しているのは一見するとアンバランスだ。けれどもそこに、『ドクター・ストレンジ』で述べたかったことがあるのではないだろうか。
科学だけが発達した世界を未熟とし、精神面を重要視した魔術との両輪で発展することこそ先進的だと描写する。これは科学技術のみに依存して発展していく現代社会への皮肉だろう。
儀式とは精神だ。祈りだ。その精神面を捨て置いて発展することに意味などないと言いたいのかもしれない。この設定にはそれを感じた。
そして最後になるが、架空のアフリカ国家が舞台ということで、主要キャストのほとんどが黒人という点が興味深い。
このあたりは正直に言うと僕ら日本人にはやや遠い場所に立っているのであまりピンとこない部分もある。けれどもこの設定が持つ意義は大きいのではないか。
作中でも随所に黒人が差別されてきた歴史に触れられ、今作の敵役の持つ主張にも一部取り入れられている。彼は敵という立ち位置ではあるが、本当に敵なのだろうか、そう思うほどに彼の境遇は深く悲しい。そして、その主張にも一部に正統性がある。また厚みのある背景を持った悪役だ。
そう、何度も述べているように一連のシリーズの中で敵役を魅力的に描く作品はひときわ輝く。そして、ともすれば主張が全面に出がちな内容を扱いつつ、説教臭いものから遠ざけているし、何とも言えない重厚なストーリーを醸し出している。とても興味深かった。
全体を通してとても興味深く、また映像美もものすごい。文句なくここまででナンバーワンの名作だ。
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★★
3日目 0:15 (累計視聴時間38時間15分)
居酒屋の個室は喧騒に包まれていた。隣の個室だろうか、サラリーマンが悪乗りして大声を出している声が襖越しに聞こえてきた。反対の個室は我々と同じくらいの年齢の大学生だろうか。盛んに掛け声をあげて飲み会を盛り上げている。
こちらも負けじと盛り上がっていた。
ミサキは竹下と話し込んでいた。
「それで、ぜんぜん話したことないのに突然映画に誘われて怖くなったの。それで“家庭の事情でいけない”って断って」
そう説明するミサキの話題に竹下が食いついた。
「それは誘うやつが悪い。突然誘うとか何考えてるんだ。ちょっと犯罪のにおいすらする」
太田はステファニーが連れてきた2人のギャルと話し込んでいた。
「それでね、俺は言ってやったわけよ。おまえ店長とデキてんだろって」
「ウケる」
「ウッザ」
山内はステファニーと話し込んでいた。
「カニの食べ方わかんない」(運ばれてきた鍋に入っているカニを指差して)
「カニって言えばさ、『スチュワーデス物語』の中に印象的な話があるんだけど、スチュワーデスって地理にも詳しくないといけないってことでルートインフォメーション試験ってのがあるんだ。スチュワーデスは世界中の景色、星や星座まで覚えてお客様にきかれたらお答えしなければならないってね。けれども物覚えの悪い松本(堀ちえみ)は覚えられない。そして勇気を出して教官(風間杜夫)に秘密特訓をお願いする。大好きな教官(風間杜夫)との秘密特訓。そこでハワイ諸島の名前を語呂合わせで覚えようと提案される。授業でできなかったやつだ。その語呂合わせが「ハマカラモオカニ」で、松本(堀ちえみ)は「浜からもうカニ」と覚える。なんだよ、浜からカニって。それに「もう」ってなんだよ」
「何言ってるんだか分からないけどウケる」
それぞれが楽しんで笑顔なのを観て、僕はこういうものが好きなんだろうなと考えた。合コンという場を提供するため、様々な調整をして準備をする。それは収束と発散の美学なのかもしれない。収束のための発散は美しい。
そんな合コン会場に一瞬だけ不穏な空気が流れた。
「あのさ、キミたちは映画のエンドロールちゃんとみるの?」
竹下の悪いところが出た。
ステファニーたちギャル3人に竹下が詰め寄った。しかも、ギャル3人、ここまで話した感じ、絶対にエンドロール観ない雰囲気がある。なんなら映画の上映にめっちゃ遅れてきたくせにでかいポップコーンもってギャーギャー入ってきそうな勢いすらある。緊張が走った。これで観ないとか言ったらまた竹下が化物へと変身してしまう。
「なに? エンドロールって?」
ステファニーたちはエンドロールのこと、なんか劇場の売店で売っているパン的なものと勘違いしている感じだった。平穏な空気が流れた。
結局、この合コンは何にもならなかった。誰かの想いが遂げられることはなく、その後、同じメンバーで集まることもなかった。なんとなく自然消滅したような感じだった。
解散となり、女性陣と別れて男子だけで繁華街を歩いた。繁華街はまだどこか熱気が残っていて心地よい風とタクシーの排気ガスが混ざり合っていた。
「いい合コンだったな」
「ああ、いい合コンだった」
いつの間にか、あれほどいがみ合っていた太田と竹下が肩を組んで歩いていた。きっと“時間が解決”してくれたのだろう。僕はその時間が解決してくれる雰囲気が好きだ。
「アニメ祭りの映画100本観るの無理だよな。子供の時はいけると思ったけど」
ふいに太田がそう言った。子供の時のことを思い出したらしい。
「無理かなあ。今度やってみようぜ」
「いや、やめとこう」
僕らはもう、100本のアニメを心の底から楽しむほど純粋ではないのかもしれない。子供の時から考えて僕らはあまりに傷ついてきた。ずっと傷ついてきた。ただ、それは本当に悲しいことなのだろうか。
僕らの心の傷は、収束のための発散と考えることはできないだろうか。
誰だって傷つきたくなんかない。悲しみたくなんかない。けれども、それでも僕らは傷つくし悲しむ。ただ、それは何かが収束するための発散なのかもしれない。
あれだけ僕らを苦しめた傷も、もしかしたら“時間が解決”し、収束するかもしれない。その美しさがあるから僕らは生きていけるんだ。そう思った。
青信号の向こうに見えた星空が妙に綺麗だった。
19本目 アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(2018年) 149 min
6つすべてを手に入れると、全宇宙を滅ぼす無限大の力を得るとされるインフィニティ・ストーン。その究極の石を狙う最凶最悪の敵であるサノスがついに動き出した。いくつかのストーンを手に入れたサノスは地球にある2つのストーンを狙ってやってくる。彼の野望を阻止するためアベンジャーズが動き出すが、フルメンバーではなかった。果たして彼らは宇宙を救うことができるのか。
感想
ついに、最強の敵であるサノスが登場してきた。サノスはなかなかにスケールの大きな敵で、ここまでのシリーズにおいてあらゆる場面で“全ての元凶”みたいな扱いで登場していた。かなり前の段階でラスボスなんだろうなあという雰囲気をムンムンに醸し出していた。
この作品の特徴を挙げるなら、やはり完全なる発散というところにつきる。
まず、先に結果を言ってしまうが、、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』と同じく、この作品はこれ単体で完結していない。完全に「エンドゲームに思いっきり繋がるんだろうなあ」という感じで終わる。
そして、アベンジャーズの名を冠したシリーズではおなじみの「アベンジャーズ全員大集合」の絵がない。一度も大集合しない。もちろんこれはアベンジャーズが割れてしまったことにも起因しているのだけど、やはりこれはエンドゲームという大いなる収束に向けた発散のためだと思う。ここで集めて収束させちゃいけない。
ついに「アベンジャーズ」という作品自体も発散に使い始めた。もうこれはエンドゲームでどんな収束を見せるのか。どうなっちゃうんだ。期待しかない展開だ。
さらに、このシリーズは一貫して魅力ある敵役を演出してきたという点がある。それがストーリーに深みを持たせているわけだが、ここにきて真打ち・サノスの登場だ。このサノスもまた魅力ある敵役であるように思う。
サノスがやってきたことは、宇宙の様々な星を襲って、その星を滅ぼすというものだ。しかしながら、完全に根絶やしにするわけではなく、その星の半分を殺す。そこには偉い人だけを残すとか、有能な人だけを残すとか、金持ちだけを残すとか、子供を残すとか、そういった選別はなく、完全に無作為に半分を滅ぼすのだ。それが真の公平だとサノスは言う。
なぜそんなことをするのか。サノスの主張によるとこの宇宙は生命が増えすぎてあらゆるものが飽和に達している。このままでは共倒れだ。だから半分にする、というものだ。そして、そのために全宇宙に広がる6つのインフィニティ・ストーンを集め始めるのだ。
インフィニティ・ストーンは、これまでのシリーズで不思議なパワーを発揮してきたものだ。それらが全部で6個ある。全て集めると、パチンと指を鳴らすだけで全宇宙の半分の生命を消し去ることができる。
ここで注目すべきなのは、サノスは自らの私利私欲を満たそうとしていない点だ。全宇宙の半分の生命を奪い去るなんて途方もない悪事だが、それをしたところでサノスにはあまり得はない。
飽和して滅びてしまうことを回避できる、消し去る半分に自分は含まれない、得すると言ったらそれくらいだろうか。金が儲かるとか、欲望を満たせるとか、もはやそういうスケールではない。
つまり、サノスは私利私欲ではなくある種の信念を持って行動しているということになる。そして、それは宇宙を救いたいというものだ。
サノスは絶対的な悪である。そう言い切ることができるだろうか。できない気がする。
さらに、それを阻止しようとするアベンジャーズもまた、宇宙を救いたいと考えている。実はサノスとアベンジャーズは根底にある考えは同じであって、ただ単にアプローチが違うだけなのだ。
争いが起こった時、正しい方と正しくない方、と考えがちだ。少なくとも旧来のステレオタイプなヒーローものはそう描かれてきた。世界征服を企てる悪の組織に正義のヒーロー。しかしながらあらゆる争いはそう単純ではない。日常に潜む争いも、国家レベルの戦争も、正しい方と正しくない方と簡単に割り切ることはできない。
どちらも自分が正しい方だと信じて疑わないからやっている。客観的にどう見えるかという違いはあるが、少なくとも当人たちから見たら自分が正しく、正しい方と正しい方の争いになるわけだ。だから、争いは終わらない。
このシリーズの中に「平和を守るために戦争をするのか」と戦うこと自体に疑問を呈するシーンがある。もう40時間くらい鑑賞しているのでどこだったのか忘れてしまったが、確かにあった。
それがきっとこのシリーズで言いたいことなのだろう。片方は、平和のために戦争をしている。けれどももう片方も平和のために戦争をしている。そしてどちらが勝とうとも報復を生み、そしてまた報復と繰り返される。昨今のどこかの国を見ているのかもしれない。
そう考えると、この作品のサブタイトルとしてつけられた「インフィニティ・ウォー」はなんとも壮大な皮肉だろうか。
なにが悪でなにが平和であるのだろうか。そんな問いかけがこの作品にはある。
そして、ついにサノスの想いは遂げられる。
全宇宙の半分の生命が消え去ってしまった。果たして宇宙は、アベンジャーズはどうなってしまうのだろうか。どう収束していくのだろうか。
おススメ度:★★★★★
重要度:★★★★★
3日目 2:44 (累計視聴時間40時間44分)
新宿の街を歩いていた。
この街は本当に賑やかで僕の生まれ育った街とは違う。大学時代を過ごしたあの街とも違う。とても賑やかだ。
キャッチやらの隙間を縫って歌舞伎町のメイン通りを歩く僕は少しだけ緊張していた。
あの合コンから12年、すっかりおっさんになった僕たちは、本当に10年ぶりくらいに会うことになった。ミサキやステファニーたちまでとはいかなかったが、竹下と太田そして山内と僕で集まることになった。
竹下は関東地方に在住で、太田と山内が仕事の関係で出張してくるようなので新宿で集まろうということになった。僕らはいつの間にかあまり連絡を取らなくなってしまった。おそらく僕らの関係性は各々が持つ日々の忙しさの中に溶けていったのだろう。ただそれは悪いことじゃない。
こうして再会できることは喜ばしいことだ。胸を躍らせている自分がいた。あれからそれぞれの人生においてどれだけの傷が生まれ、どれだけのことを時間が解決してくれて、どう収束していったのだろうか。それを知り、教えることが楽しみだった。
居酒屋に到着した。入口では大学生の集団が「ワンチャン! ワンチャン!」と大騒ぎしている。
さあ、収束させに行こう。
確認するかのようにネオンの向こうの星空を眺め、ギュッと唇を噛みしめた。
20本目 アントマン&ワスプ(2018年) 118 min
ソコヴィア協定を巡って勃発したアベンジャーズの内乱により協定に反発するキャプテン・アメリカに加担したスコットは逮捕されたが、司法取引を成立させ2年間の自宅軟禁を強いられていた。またハンク・ピムとその娘ホープもアントマンの逮捕によりFBIを追われていたが、スコットがホープの母親であるジャネットのメッセージを受信したことから再び手を組むことを決意する。冷戦時にソ連の核ミサイルを停止させるために限界まで縮小し量子の世界へと消えたジャネットを救出するため、アントマンが再び動き出す。
感想
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』から一気に「エンドゲーム」まで流れ込むかと思ったが、間に2作挟むらしい。全然関係ない骨休め的なものでも挟んでくるかと思ったが、そうではないらしい。大いに関係がありそうだ。
12本目『アントマン』の続編にあたる作品で、アントマンが新たにパートナーであるワスプを加えてミクロの世界で大暴れという作品だ。
アントマンは『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』においてアベンジャーズ新入りとして登場し、キャプテン・アメリカのサイドに立って戦った。けれども、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』には一切登場してこなかった。
それには理由があって、反乱を犯したキャプテン・アメリカに加担したとして、協力者は軒並み逮捕されたのだけど、アントマンだけ司法取引に応じ、2年間自宅軟禁ということでドイツからの帰国を許されていた。軟禁されていたので戦いに参加できなかったというわけだ。
これには、アントマンだけが守るべき小さな家族を持っているという伏線が効いてくる。つまり、娘のためにどうしても帰国をする必要があった。自宅軟禁なら娘に会うこともできる。実際にこの作品はそんなシーンから始まる。
これにはヒーローらしくないのだけど、リアリティのあるヒーローとして描く意図がありそうだ。
その間もアントマンは遊んでいるわけではなく、時系列的には『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』よりちょっと前くらいの感じで、量子の世界での大冒険が展開される。
そしてラストでは、時系列が『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のラストと同じになり、大変な事態が起こってしまう。おそらくではあるが、これが『アベンジャーズ/エンドゲーム』に向けて重要な伏線になる気がする。
相変わらず、小さくなったり大きくなったりのアクションは目を見張るものがあるし、ストーリーも面白い。ただ、本当にアリだけは苦手なので、そのアリがドアップで出てくると本当にきつい。
おススメ度:★ (アリのため)
重要度:★★★★
3日目 4:42 (累計視聴時間42時間42分)
ついに最後の1本となった。長かった。本当に長かった。永遠に終わらない時間を過ごしていると思ったほどだ。この21本目を観ることでいよいよ準備が整う。エンドゲームを心の底から楽しみ切る準備だ。
ただ、ここまで延々と21本のレビューを行うとともに、よく分からないエピソードも語ってきた。「スチュワーデス物語」だとか、合コンアベンジャーズだとか、謎バスだとか、家が全焼だとか、ところどころに挿入されるよく分からない話だ。
実はこれは、大いなる振りに過ぎない。そう、ここまではただの前振りで、ここから語られることが本当に言いたかったエピソードなのだ。
そしてもう一つ思い出して欲しい。もう記憶の彼方に行きかけていたが、この記事はあくまでも「投資を考える」という名目だ。思うに、ここまで投資の話がほとんど出ていない。大丈夫だ。ここから出てくる。
12年ぶりに竹下、太田、山内に会えるとあって僕の心はやはり弾んでいたのだろう。またあの日のような「スチュワーデス物語」だとか、謎バスとかのバカげた話ができるのだろう。あの日の思い出に収束していくのだろう、そう思って胸を弾ませ、居酒屋の門をくぐった。
そこには、大人になった彼らがいた。
家庭を持ち、仕事のストレスに心を痛める彼らがいた。当たり前の大人がそこにいた。
「でさ、あのときに謎バスに乗ってさ」
僕が話を振るが、「そんなことあったっけ? それよりも健康診断の結果が芳しくなくてさ」「俺も来月人間ドックだわ」そんな会話が展開されるだけだった。話題を変えて色々試みるが、なんだかしっくりこない。
「そこで言ってやったわけだよ、お前は最低な男だって」
僕がそう話を振る。もちろん、これに山内が反応するはずだ。
教官(風間杜夫)「ああ、俺は最低の男だ」
これがくるはずだ。そう思った。けれどもこなかった。
「そんなに最低じゃないだろ」
めちゃくちゃ冷静に言われてしまうくらいだった。
「この間、エンドロールが始まった瞬間に席を立ったわ」
「ふうん」
竹下は怒りもしなかった。
早い話、大人になりきれていないのは僕だけだった。僕の未来と彼らの持つ未来とは別の場所に収束してしまったのだ。
「俺も若いころはめちゃくちゃだったけど、時間が解決してくれたな」
すっかり落ち着いた太田はそう言った。僕だけ、時間が解決してくれなかった。
そして、大人になり切れない僕をよそに彼らの話題は投資による資産形成に移っていった。みんな何かしらの投資をして将来に備えているらしい。
「俺だけならいいんだけど、家族のためにもな。子供にもいろいろ残してやりたいし」
太田はそんなことを言っていたように思う。
「お前やってないの? マジで?」
「なんにも投資してないの?」
「稼いだ金を全部使ってる? 嘘だろ? 狂ってんのか?」
めちゃくちゃ責め立てられてしまった。どうしていいのかわからずに、めちゃくちゃ困惑した。絶対に彼らが正しいので、めちゃくちゃ自分が不完全な人間のように思えた。
投資とはいったい何だろうか。あまりに言われたので少し考えた。
僕は収束に向けた発散だと思う。
収束は美しい。そしてその美しい収束のためには壮大な発散が必要なのは、アベンジャーズで学んだことだ。
ただし、その収束は映画のように美しくなるわけではない。この再会のように、僕が思い描く収束と別の場所に彼らの収束があった。そう、収束は思いもかけない場所に行くことだってあるのだ。
それに備えること。それは投資なのかもしれない。
未来はずっと繋がっていく。そして収束していく。そのために投資をするのも悪くないのかもしれない。ただ、それが言いたかっただけだ。
「なにかと話題のFXでもやってみるかあ」
今からでも時間が解決してくれるのかもしれない。
ひきつった笑いを見せながらそう決意したのだけど、そのまま、この記事の冒頭に繋がってるのだ。つまりここまで言われて決意したのに、それでも口座を作らなかった。僕はそんな人間だ。とんでもないやつだ。
ただ、飲み会の終盤で出てきた太田のセリフが印象的だった。
「うちの息子がさ、アニメの映画に夢中でさ。アニメの映画なら100本観れるっていうんだよ。誰に似たんだか」
その言葉にちょっと笑ってしまった。そう、未来は続いていくのだ。多くの発散と収束が延々と繰り返されていくのだ。
21本目 キャプテン・マーベル(2019年) 123 min
1995年。アベンジャーズ計画が発足する以前の時代。クリー人のエリート特殊部隊”スターフォース”に所属するヴァースは、6年前にクリー人によって拾われ、超人的な特殊能力を得た女性である。ヴァースは救出任務中、スクラルの司令タロスによって囚われるが、隙をついて脱出し、付近にあった地球に墜落する。若き日のフューリーと共に失われた自身の記憶を取り戻すべく行動を始める。
感想
さて、この『キャプテン・マーベル』だが、時系列的にはキャプテン・アメリカシリーズの1作目になる『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』の次にあたるらしい。「ファースト・アベンジャー」は第二次大戦中の出来事を描いているが、この作品はその続き、アベンジャーズ結成前の時代の話だ。
『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』のあとからアベンジャーズ結成まではけっこうな時間があいているが、その間を埋めるエピソードだ。若き日のフューリーも出てくる。
とにかく圧巻なのは、主人公がめちゃくちゃ強いという点だ。なんかそのハチャメチャさにちょっと笑ってしまうくらいに強い。ほんと強い。下手したらアベンジャーズ最強と言われるソーより強いのかもしれない。
さらに、一連のシリーズにおいてはじめて女性が単独で主人公となる作品だ。それだけに、男性社会で生きる女性の苦しさ、みたいなものがこれでもかと描かれている。
主人公ヴァースの頭の中にあるのは、幼い少女の時代から何か失敗する度に「女だから」と周囲に言われる姿だ。この描写は繰り返し繰り返し出てくるし、大人になってからの回想でもそれが続いている。それらが、女性を押さえつけてきたこの世界に対する批判のように見えるが、実はそうではない。
物語終盤、ヴァースの記憶が戻り、頭の中でその記憶が弾けるのだけどそれは、「女だから」と周囲に言われた記憶ではなかった。それぞれの回想には続きがあったのだ。失敗し、そう言われても気落ちせず、諦めずに何度でも立ち上がるヴァースの姿がそこにあった。このシーンはちょっと感動すら覚えるくらいいいシーンだ。
抑圧されてきた女性たちの姿を描きつつ、諦めず何度でも立ち上がる全ての人々に称賛を送っている。これはそんな作品だ。
そして、物語終盤、一気に時間が飛んで、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のあのラストシーンに繋がる。宇宙の半分の生命が失われた絶望的な状況で、アベンジャーズ(もはやそういえないほど壊滅的な状況だが)の前に、ヴァースが、いいやキャプテン・マーベルが現れる。
もちろん、キャプテン・マーベルは強い。けれどもおそらくサノスを倒すほどの強さではないだろう。それでも、何度も立ち上がる不屈の彼女だからこそ、何とかしてくれるんじゃないか。そんな期待と希望を持たせてくれるのだ。
そして、準備は整った。
いよいよ物語は大きな発散を経て収束へ。そして終息へと向かっていく。
おススメ度:★★★★
重要度:★★★
3日目 6:45 (累計視聴時間 44時間45分) 視聴終了
当初の予定では、ここまで書いて終わりにする予定だった。
当初は、せっかく21本連続鑑賞したのに、最後の最後、『アベンジャーズ/エンドゲーム』は劇場での上映が終了(6/27)だし、ブルーレイとDVDがセットになったMovieNEXは未発売(9/4発売)だしで、観る手段がありませーん、ズコーというオチをつけて古典的に終わるつもりだった。ブレスト会議でもそう決まっていたはずだ。けれども、この文章の締め切り直前、つまり8月7日にとんでもない一報が入ってきた。
「8月7日 アベンジャーズ/エンドゲーム 先行デジタル配信スタート!」
こんなもん出されたらたとえ締め切り直前といえども鑑賞してレビューするしかない。やるしかない。いくぞ。待ってろよ、エンドゲーム。待ってろよ、太田、竹下、山内、ミサキ! 俺は観るぞー!
22本目 アベンジャーズ/エンドゲーム(2019) 181 min
最凶最悪の敵サノスによって、人類の半分が消し去られ、最強チームアベンジャーズも崩壊してしまった。はたして失われた35億の人々と仲間を取り戻す方法はあるのか?大逆転の確率は、1,400万605分の1…。わずかな希望を信じて再び集結したアイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソーたちに残されたのは、最強の絆だけ──。今はここにいない仲間のために、最後にして最大の逆襲が始まる!
感想
うおおおおおー!
うわーーーーー!
すげええええー!
きたーーーーーー!
あばばばばばばばばば
fklしwjヴぃclへwぃrhりlん;せsk
完全に語彙を失うレベルのハチャメチャな面白さ。完全に全てが報われた瞬間だった。これまで48時間も鑑賞し続けてきた全てが報われた。もののみごとに全てが収束し、美しき輝きを放った。
これはもう投資だ。この瞬間という輝かしい楽しみのための投資だ。
もう野暮なことは言わないのでとにかく観ろ、いいから観ろ、いいから、とにかく観ろ、21本観てから観ろ、あれなら僕がつけてきた「重要度」が高いやつだけでもいいから観ろ。それしか言えない。
野暮なレビューなどいらないのですが、さすがに最後の最後でそれもまた野暮かなあとも思うので、今までの流れ通り、レビューめいたものを書きます。
「時間が解決してくれる」
シリーズ集大成となる『アベンジャーズ/エンドゲーム』はその一言につきると思う。
これは2つの意味を持っていることを鑑賞した人なら理解いただけると思う。片方の意味の方は是非とも鑑賞して体感して欲しい。ここではもう一つの意味について述べる。
「時間が解決してくれる」
とは許しだ。あれほどの怒りや、あれほどの憎しみが、消え失せて相手を許せてしまう。それは時間が経過したからこそできることだ。僕はそのなんとも人間らしい曖昧な感情がとても好きだ。そしてそれがエンドゲームを決定付けたと思う。一連のシリーズ全ては“許し”の物語だ。
作品中にアイアンマン:トニーの「仲直りだ」というセリフが出てくる。ここにシリーズ全ての事象が集約し、輝き始めた。この時点で全てが報われたのだ。
怒りを忘れないことは大切だ。悲しみや悔しさを持つことも時には必要だろう。もしかしたら誰かを呪うことだって人生において必要なことかもしれない。けれども、いつまでもそれに囚われることは、愚かなこととまでは言わないが、悲しいことだ。
思いかえしてみれば、アベンジャーズたちとそれを取り巻く人たちは、必ずどこかで何かを“許し”た経験を持っている。ずっとそれが描かれてきた。それは簡単なことじゃない。思い悩み、苦しみ、葛藤した。そして“時間が解決”してくれた。
この物語はそれが全てだ。
怒りに囚われ、復讐の心に身を焦がしても、たぶん多くの場合であまり前には進まない。許すのだ。進むのだ。それが感情的に難しいのなら待つべきだ。
僕らの想いや、僕らの人生は、もしかしたら報われないかもしれない。理解できないほど理不尽なことだってあるかもしれない。時には怒りも必要だろう。けれども、そんな時はこの許しの物語を思い出すべきだ。そうすれば、少しだけ前に進めるのかもしれない。それが難しいならいったん離れて待つべきだ。きっと時間が解決してくれる。そしてそこに僕らの未来がある。
復讐ではなく、許しを描くこの物語の主人公たちに「復讐者(アベンジャーズ)」と名付ける皮肉に最大級の賛辞を送りたい。
おススメ度:★★★★★★
重要度:★★★★★★
累計視聴時間:47時間46分
『アベンジャーズ/エンドゲーム』
MovieNEX(4,200円+税)、4K UHD MovieNEX(8,000円+税)発売中、デジタル配信中
© 2019 MARVEL
https://marvel.disney.co.jp/movie/avengers-endgame.html
『MCU ART COLLECTION』全20作品数量限定発売中
本体サイズ:B4 収録ディスク:ブルーレイ本編1枚 価格:各3,200円+税
© 2008 – 2018 MARVEL
https://www.disney.co.jp/studio/release/marvel-20190904.html
『スパイダーマン:ホームカミング』
ブルーレイ&DVDセット4,743円(税別)
発売・販売元:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
・当記事は投資啓蒙を目的に作成したものであり、大和投資信託では個別の投資相談は承っておりません。
・当記事に掲載の情報は、すべて執筆者の個人的見解であり、大和投資信託の見解を示すものではありません。