世界を巡るライター・岡田悠が行く 旅するお金の大冒険

ウズベキスタンの10日間を7500円で過ごしたあの日のこと

旅ではお金の悩みが尽きない。日々の煩悩から解放されるべく日本を発ったのに、油断をするとお金の心配で頭がいっぱいになる。

例えば現地通貨の両替。いつも悩むんだけど、一体いくら替えるのが正解なんだろう。多額の現金を持ち運ぶのは危ないし、かと言って不足すると詰む。全てカードで払えれば問題ないが、世界を俯瞰してみればまだまだ現金が主流である。
つまり予算を常に計算しながら、手持ちの現金額を把握しつつ、両替できる場所を想定しておく。そういう高度なマルチタスクが要求されるのだ。普通に旅をさせてくれ。

あとは、小銭。特に空港に着いてそのまま乗るバスで、小銭を要求されるパターン。前から思っていたけど、あれは無理ゲーではないか。両替所では小銭をもらうことができないから、仕方なく紙幣で払ってお釣りが返ってこないことも多い。大変に悔しい。

それに例えば、チップの文化。それに例えば、値札のないバザールでの交渉。

このグローバル資本主義社会において、お金はフラットな存在の様に見えて、実は文化風習に深く根ざしている。言語と同様にお金はいわばコミュニケーションツールであり、現地に身を沈め、その文法や構文の理解を深めることで初めて自分の手足となるのだ。

僕は31歳の会社員。学生の頃から海外旅行が好きで、社会人になってからも暇を見つけては海外に行く。有給が付与された瞬間に消化していくさまは、さながら働き方改革の申し子であり、そろそろ厚生労働省から表彰されてもいいのではないか。スタイルとしてはツアー等を通さない個人旅行であり、とりあえず航空券だけを購入。現地で気の赴くままに、バックパックを背負って安宿を転々とすることが多い。

いつも旅行に持っていく黒い財布はパンパンに膨らんでいて、中には海外の紙幣がクシャクシャになって詰め込まれている。これは全部日本円に替えきれなかった残滓たちだ。

色々な国の紙幣

▲色々な国の紙幣

紙幣を広げて、シワを丁寧に引き伸ばす。それぞれに旅の物語が詰まっていて、伸ばされたシワの数だけ記憶が蘇ってくる。これだけクシャクシャなのは急いで詰め込んだからかもしれないし、不安でずっと握りしめていたからかもしれない。

南アフリカ紙幣

▲南アフリカ紙幣

例えば動物が描かれたこの紙幣は、南アフリカ共和国の「ランド」だ。
アフリカで「BIG 5」と呼ばれる5匹が各紙幣に選ばれているのだが、金額が高いのが百獣の王ライオンでも陸上最大のゾウでもなく、ヒョウとバッファローだというのが面白い。
南アフリカは都市によってはめちゃくちゃ治安が悪くて、いつどこで強盗に遭うかわからない。多額でも少額でもない「ちょうどいい金額」をポケットに忍ばせておけとアドバイスをされたが、それがどの動物を指しているのか、強盗の気持ちに立って考えたものだ。

イスラエル紙幣

▲イスラエル紙幣

イスラエルの「シュケル」にはダビデの星とともに、元首相の肖像画が描かれている。
首都テルアビブにはお気に入りのパスタ屋さんがあって、毎日のように通っていた。味は抜群なのだが、不思議なことになぜか僕への愛想がめっぽう悪い。隣の客には笑顔で水を運ぶウェートレスも、僕のことは殺すぞみたいな眼で睨んでくる。その訳が判明したのは帰国後で、ないと思い込んでいたチップ文化が実はイスラエルには存在していたのだ。僕は一度も払っていなかった。

イラン紙幣

▲イラン紙幣

大量のゼロが並ぶこの紙幣は、イランの「リアル」である。イランは米国から経済制裁を受けている国で、通貨価値が滝のように暴落していた。現地の市場でやりとりされている実レートは、ネットなどで知ることのできる「公定レート」とも著しく乖離しており、高級ホテル、飛行機、レストラン、全てが外国人旅行者にとって安すぎた。膨大なリアル紙幣を消費するために仕方なく買ったペルシャ絨毯は、今でも部屋の隅に鎮座している。

そして、これ。

ウズベキスタン紙幣

▲ウズベキスタン紙幣

最も忘れがたい紙幣の一つ。「CYM」と書かれたこの通貨は「スム」と発音し、中央アジアはウズベキスタン共和国のお金である。
トラらしき動物が日輪を背負っているが、偶像崇拝が禁止されているイスラム教では非常に珍しい壁画であり、青の街サマルカンドでも目にできる。そう、サマルカンドといえば、もうその響きからして旅情を激しく掻き立てるあの憧憬の地だ。

ウズベキスタンの景色

▲ウズベキスタンの景色

中央アジアの歴史が興味深いのは、本当にころころと支配者が変わることである。その結果、あまたの人種や宗教が複雑に絡み合い、ミルフィーユみたいな年表ができあがった。アレクサンダー大王から始まり、チンギスハン、ティムールなど、サマルカンドという街は大征服者たちの興亡を常に見つめてきたのである。

だがこの「スム」に強い思い入れがあるのは、サマルカンドのせいでも、その歴史の重みのせいでもない。それは遠い春の記憶。学生時代の旧友と、ウズベキスタンの首都タシュケントに入国した瞬間から、すでに始まっていたのだ。

ウズベキスタンの入国審査では、どんな通貨でいくら持ち込んだのか、事細かく申請を求められる。これは出国審査でも同様で、滞在中のビジネス行為を取り締まるためだという。入国ゲートを通過するだけでひと仕事である。

僕たちの審査には、ことさら時間がかかった。今回の旅では、いつもの貧乏旅行では考えられないほどの現金を用意してきたからだ。日ごろ貯め込んだお金を使って、食べたいものを食べて、やりたいことをやる。たまにはそういう旅があってもいい。僕たちは半ばリゾート気分でこの国に降り立っていた。

審査官は紙幣一枚一枚を舐めるような視線で確認し、その度に何やらブツブツと呟きながらメモをしている。その作業は遅々として進まず、一向に終わる気配がない。僕たちの後方には長い行列ができあがり、苛立った乗客の視線が背中に突き刺さる。イライラとブツブツに挟まれながら最初の朝は明けていって、スタンプが押された頃には太陽はすでに高く昇っていた。

空港を出ると、乾いた熱風が強く吹きつけてきた。熱風は低いうなり声を立てながら僕の髪を無作法に弄び、山の向こうへと消えていく。それは夢にまで見た中央アジアの洗礼で、僕たちは寝癖みたいに爆発した髪を撫で付けながら、タクシーを止めようと手をあげた。

ガイドブック「Lonely Planet」には、こういう表現がある。

「ウズベキスタンでは、全ての車が『ポテンシャルタクシー』だ。」

全ての乗用車がタクシーになりうるという意味だが、つまり道ばたで手をあげていると、タクシーではなく普通の乗用車がバンバン止まるのである。その運転手はプロでもなんでもない地元のおっさんであり、小銭稼ぎで空いた席を提供しているのだ。
このポテンシャルタクシー、どうやら現地でも一般的な交通手段として広く浸透しているようで、家族連れが利用している姿も見かけた。まだUberのない時代、それを超えるシェアリングエコノミーがウズベキスタンには存在していた。

とはいえ個人の車に乗り込んで、万が一危ない目に遭っても文句は言えない。懐に余裕のある僕らは安心安全を優先して、オフィシャルなタクシーを利用することにした。後部座席に乗り込むと、短髪の運転手が開口一番こう叫んだ。

“Exchange Money? Black Market!”

安心安全を優先したのに、いきなりブラックマーケットとかいう言葉が飛び出した。これは“正規ルートではない、いわゆる「闇ルート」での両替”を意味している。
通貨「スム」はウズベキスタン国外ではほとんど取り扱われていないため、旅行者は必然的に現地で初めて両替することになる。そこを狙って彼らは積極的に交渉を仕掛け、小遣い稼ぎをしているのだ。全てのタクシーは、ポテンシャル闇商人でもあるわけだ。

“Black Market good! Good rate!”

しかしこのブラックマーケット、実際のところかなりレートが良い。銀行の両替所と比較すると、時に2倍ほどの金額差が生じる。どういう経済原理が働いているのかはよく知らない。

“Exchange! Exchange is good.”

シルクロードの歴史は、まさに「交換」とともにあった。それはその名の由来となった唐とローマの交易に限らない。中央アジアに散らばるオアシス国家と周辺を移動する遊牧民族は、互いに必要な物資を交換しながら、協調と戦争の歴史を繰り返して発展してきたのだ。

しかしそのような物語に思いをはせながらも、僕たちは闇商人の提案に応えることはない。
もちろん信用できないという思いもありつつ、それ以上の壁が立ちふさがっていた。

“Japanese Yen? No No. $US only.”

すげなく断られる。ブラックマーケットでは、米ドルしか受け付けてくれないのだ。実は僕たちがこの国に持ち込んだ米ドルは70ドル(当時の日本円にして約7,500円)だけ。あとは銀行で両替すればいいと、全て日本円で持参してきたのだった。それも前述の通り、それなりの金額である。

“Japanese Yen? No No. $US only.”

僕たちは戸惑いを隠せない。銀行でもホテルでも、円との両替を断固として受け付けてくれないのだ。おかしい。旅行ガイドの事前情報と違う。せめて空港ならと足を運ぶと、そもそも両替窓口が閉まっている。
円が駄目ならドルを引き出すしかないと、クレカでのキャッシングも試みたが駄目だった。どこのATMでもドル札自体が品切れ状態で、エラーが表示されるばかりだ。もはや為す術もない。

そんなわけで、僕たちの所持金は突然2人合わせて残り70ドルとなった。大切に抱えてきた福沢諭吉は、ここでは無名の人だった。人が価値を信じなければ、紙幣はただのおしゃれな紙でしかない。資本主義の本質に触れた気がしたが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。

旅は残り10日間。僕たちの自由な旅路、気ままな物見遊山は、1ドルを切り詰める極限の戦いに変わった。

1杯のビールを惜しみ、晩飯は我慢し、ドル札を数えてはため息をつく。高級ホテルを泊まり歩く生活はオアシスの幻影とたち消え、窮屈なドミトリーで無数のイビキを子守唄に眠る。国土の広いウズベキスタンでは飛行機を利用するのが通常だったが、僕たちはしつこく陸路にこだわり、500kmの砂漠道を車で猛然と駆け抜けた。これは死ぬかと思った。

待ち望んだ世界遺産に到着したものの、腹が減りすぎて観光する気力も湧かない。床に座り込んでただ空を見上げる。上空を悠々と旋回するトンビはまるで僕たちを狙っているようで、しかし僕たちも同様に最悪あいつらは食えるのだろうかと、そういう飢えた目でトンビを睨み返しているのだ。

ウズベキスタンの景色2

▲ウズベキスタンの景色2

つらい。あんまりである。この日本円があれば、いくらでも名物のピラフをビールで流し込めるし、入場料を気にせずモスクを堪能できるはずだった。あんなに憧れたこの国を、僕たちは心から楽しむことができない。現に日本から来たツアー客たちは目を輝かせ、歴史が織りなす神秘に耽っている。僕たちは味も香りもしないパンらしき粉の塊をチビチビとかじりながら、それを恨めしく眺めていた。

そんな折、とある妙案を思いついた。

「円を両替してもらえませんか?」

円に信用価値を感じるのは、ここではもはや日本人だけだ。そこで僕たちは日本人らしき旅行者を見かけては声をかけ、片っ端から日本円の両替をお願いし始めた。懐に余裕のありそうな年配のツアー団体が特に狙い目だった。世界遺産にも現地の美女にも目もくれず、とにかく日本人の集団を探し回った。

だがまだ壁があった。程度の差こそあれ、どの日本人も現地通貨の不足に悩まされていたのだ。バックパックを背負った得体のしれない若者が突然話しかけても、まともに取り合ってくれる日本人はいない。僕たちはもっとメリットを提供する必要があった。

「両替しましょう!良いレートですよ!」

満面の笑みと一緒に振りまくのは、いつしか聞いた台詞。僕たちと闇商人の影が重なり、シルクロードにはっきりとした輪郭を映し出す。それはティムール帝国の時代から変わらない、お金が生み出すコミュニケーションだった。

Exchange is good. 僕たちは価値の交換を通じて関係を紡ぎ、生きていくのだ。

 

・当記事は投資啓蒙を目的に作成したものであり、大和投資信託では個別の投資相談は承っておりません。
・当記事に掲載の情報は、すべて執筆者の個人的見解であり、大和投資信託の見解を示すものではありません。

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岡田 悠

岡田 悠

ライター。旅行記やエッセイを執筆。普段は会社員として働き、旅に出て有給を使い果たすのが得意。好きな勘定科目は旅費交通費。